直観ひとりごと(253)神様ゴトを気安くブログに載せるのを止めました。
この(253)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(253)
◆神様ゴトを気安くブログに載せるのを止めました。
昨年から、私ゴトでブログに載せておりました神様ゴトに関するブログを、このたび、全部、削除させて頂きました。
もともと、私は神様には「願掛けはしない」と考えておりましたので、今回、いろいろ思うトコロがございまして、「願掛け」に類する行為は、きっぱりと、止めさせて頂くことに致しました。
神様には、ただただ「感謝させて頂くのみ」、ということが、改めて、痛感させて頂いた次第です。
もともと、私たち人間(魂)は、この世に生まれて来るトキに、その土地の産土神様と「誓約」をして、この世に降りてくる、いえ、降ろして頂く、と思っています。
そして、人間として生まれたからには、その産土神様は、その人間がどこに住もうが、どこに行こうが、一生、変わらないで、その人を見守ってくださるそうです。それだから、産土神様は、ある時は、背後霊と呼ばれたり、ある時は、守護霊と呼ばれたりするのでしょうか。
だから、私たち人間は、その産土神様を、ただただ、信じて、感謝して、日々を過ごせば、いいのでは? というふうに、以前は思っていたのですが、それが昨年から、私が何を血迷ったのか…。
それは、ある意味、宗教団体を信じる人によくあるような、現世利益を目的に信心するような、そういう意識になりそうな、そういう雰囲気になりそうになってきたために、これはいけないとイタク感じたのでした…。
もともと、私は離婚してから、「自分とは何ぞや?」というコトを知りたくて、京都のある大学の「仏教禅学科」に社会人入学したのですが、そこでは、人間としての悟りを開くことが目的ではなくて、勉強する、研究することが目的の大学だった(当たり前ではありますが)ので、ガッカリして辞めた経緯があります…。
それから、私の心の旅というか、人間が人間としてあるためには、いかに生きればいいかという探索の旅が始まったともいえますが…。そんな中から、人間の本質を知るには、人間の名前がヒントになり、それはまた日本の神様や産土神様や氏神様と言われる八百万の神々様の神名にも焦点をあてるようになっていったのでした…。
ただ、産土神様と言っても、どういう神様か、はっきりしないので、私は、セッションでは、その人のお名前から、関係ある神様を調べたりしています。なにはともあれ、この日本には、八百万の神々様がおられますので、皆さん、否定はされず、なんとなく、心のヨリドコロとされるようです。
ちょっと話が外れてしまいましたが、私が、ただただ、昨年から数ヶ月の間に、私の意識が、真摯に神様に純粋に感謝する思いよりも、何か、不純な意識が芽生え出してきたことが大きな理由でして、私の不徳の致すトコロです。
しかしながら、「神社参り」としましては、願望成就や家内安全や商売繁盛など、いろいろなコトでお参りするのが、この日本では当たり前ですし、また、それが他の人がされて悪いということも全く思っておりません。
ただ、私自身が、神様と私の関係は、私が神の分け御魂(ワケミタマ)として、神様の形をした人間として、この世に降ろして頂いたことに対して、ただただ、感謝させて頂きたいという思いを、今まで、ずっとそれで通してきましたので、これからもあの世へ旅立つまでは、同じように「感謝」のみさせて頂こうと、決心した次第です。
だから、これからも、自分の産土神社にはお詣りに行かせて頂きますが、ただ、ひっそりと、密やかに、厳かに、というのか、いいかなと感じております。ご祈祷なども、今までは、受けたこともなく、自分の名前を残すことも厭っておりましたが、それは、やはり、神社の宮司さんや神主さんを介さずに、ただただ、自分の産土神様と直接つながりたいという一心からでした。
私は、参拝するときも、どこそこの誰とは決して名乗りません。なぜならば、本物の神様(?)だったら、私が神社に行くのは、もう既にお見通しでしょうし、それをわざわざ、名乗らないといけないというのは、それは即ち、その神様自身を、私が神様と信じていない証拠ではないでしょうか?
だから、私は、名前も名乗らず、お願いコトも言いません。すべて、「神」とは、「示し」「申す」と書きますので、神様だからこそ、何も言わず申さずともご存知なのですね。それが、神様を信じ切るというコトではないかと、この数ヶ月、その思いが強くなったために、もう「願掛け」のようなコトは止めると決めた次第です。神様を信じるが故に…。
だから、もう、ブログなどにも、一切、載せないでおこうと思っております。
今まで、私のブログをご覧頂いて、神社詣りをされた方には、本当に、申し訳ございません。
でも、その結果、何か、お詣りして良かった方や、これからも行こうと決めておられる方は、どうか、ご自分のその「気持ち(意識)」を大事にしてくださいませ。神社詣りには、行って悪いことは決してありませんので…。また、願掛けもどうぞ、してくださいませ。要するに、ご自分の信じた、感じた「意識」が一番優先すべき大事なコトなんですネ…。
私は、これからも住吉大社にお詣りさせて頂いて、4社の神々様にきっちり感謝させて頂くつもりです。この数ヶ月、こちらの神様方を、ちょっと、意識的に、蔑ろにしていたきらいがありますので…。
今回は、私自身の「意識」の持ち方の問題からなので、決して、それ以外のなにものでもありませんことを、ここに改めて書かせて頂いて、このブログの終わりにしたいと思います。
結局、「神社」とは、自分の「身体」でもあるんですね。そして、そこに住まう神様は、それこぞ、自分自分だったのです。これを磨くために私たちは、日常、人間として、一生懸命、生きるのではないでしょうか?
ありがとうございました。