直観ひとりごと(233)災害国ニッポンがオリンピックを開催する意味とは?
この(233)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(233)
◆災害国ニッポンがオリンピックを開催する意味とは?
先日、テレビで、『国際オリンピック委員会(IOC)から、東京オリンピックの「マラソン」と「競歩」を札幌に…』という提案が発表され、更に『「IOC理事会」と「大会組織委員会」は札幌市に決め、既に合意に達した」という、びっくりするようなニュースが流れました…。
このニュースの中には、膨大なお金を負担する、開催都市の「東京都」は入っていなかった? だから、小池都知事の「それなら北方領土くらいで」という皮肉を込めた意見も出る始末…。
私は、そもそも、こういう「提案」がなぜ、日本の上層部の中から出て来なかったのかが、不思議でなりません。彼らが、本当に、選手のことを心配し、競技自体を懸念していれば、もっと時期を早めるとか、ずらとかす、或いは、上記のように、場所を変更する等々、いくらでも考えられたはずですが…、なぜならば、災害の多いこの日本の「夏」に開催なんて、尋常ではないのだから…。
それが、開催国の日本や、開催都市の東京都から、こういう「案」が率先して出なかったことが、この問題を複雑にし、この問題が致命的なオリンピックの問題を孕んでいるようで、それが、やはり、この日本国で開催するトキに、図らずも露見したようで、何か、日本国や、日本人の持つ「役割(使命)」を感じてなりません。
今、日本のさまざまな災害地で多くの人々が絶望に打ちひしがれ、苦しんでいる中で、それでも、そういう状況を無視して、私たちがこのまま東京オリンピックに、浮かれてしまって、地に足を付けた現実を生きる覚悟をしない日本国、日本国民であれば、来年は、今年の比では無いほどの被害が、またまたこの日本に災害が襲ってくるのではないか? と一部の人々の間では、囁かれています。
昔は、東京の「火事」は、「地震・雷・火事・親父」と、三番目にあげられるほど怖い「モノ」であり、だからこそ、昔の東京(江戸)は「いろは四十八組」という「町火消制度」を作ったそうです。そういう危機管理は、昔からできていた国であり、国民の意識なのに、今の、東京オリンピックに浮かれる国民の意識は昔の国民の意識とは大きくかけ離れてしまったのでしょうか?
昨日、テレビで、荒川を救った「地下神殿」や「調整池・彩湖」のこと流されていましたが、多摩川にも、荒川のように「地下神殿」や「調整池・彩湖」があったならば、少しは、防ぐことはできたのではと、感じてなりません。昔の人々の「知恵」って本当に、スゴイですね~。
私も、大阪で川のすぐ近くに住んでいるのですが、大阪にも「地下神殿」や「調整池・彩湖」等があるのでしょうか? 是非、吉村府知事や松井市長は二人で一致団結して、こういう昔の「知恵」を参考にして頂きたいと切に願います。そういうコトに使われる「増税」なれば、誰も文句は言わないと思うのですね…。そうすれ、少しは「南海トラフ地震」の不安も少しは、解消されるのではないでしょうか…。
また、日本の全土に、特に、田舎や農村地に、この「地下神殿」や「調整池・彩湖」の仕組みがあったならば、災害はもっと防げるのでは? それを、実行するのは、やはり、一人ひとりの国民の高い意識なのでは? 今の時代に「め組」等の「町火消制度」に変わる「モノ」が急務なのでは? それが私のいう「徴役制度」なのですが…。
それも、これも、やはり、私たち人間の危機管理の意識、特に、上層部の人々の、国を守る、国民を守る、という強い崇高な意識、の問題なのでしょうか?
結局、この地球を守るのも、壊すのも、本当は、地球自身によるのでしょうが、その地球が、今の地球人に絶望すれば、もっともっと天災や人災が起こり、私たち人間を、この地球から振るい落としてしまうような気がします。地球もある意味、意識を持った、「生命体」なのですから…。
それが、人々のエネルギーや負の念で充満している全世界の大都市から、それが実行されていくようで、その最初が東京で、特に、東京オリンピックが、「踏み絵」になるのではないでしょうか?
今となっては、東京にオリンピックが選ばれたのも、何か偶然ではないような、金にまみれた「イベント」は、それをきっちり、「負」の何かで、お返ししなければ、ならないのでしょうか?
そして、その犠牲になるのは、常に、不特定多数の、善良(?)な庶民なのですね。庶民が「我、感知せず」という、人任せ、他人任せだから、運命も、天任せ、地球任せ、なのでしょうか?
もしも、東京とが、今回の決定に異議を申し立て、それが聞き入れられなかった場合、「オリンピック中止」と訴えば、一体、東京オリンピックはどうなるのでしょうか? それほどの気骨と覚悟と誇りが、東京都にはあるのでしょうか?
私たち、一般人が考えても、答えのでない問題ではあるでしょうが、その「答え」が重要なのではなくて、その問題を、疑問として、私たちの意識に上げて、少しでも、この人間の「脳」で考える(カミカヘル)ということが重要なのでしょうね。特に、日本人には…。
これからの世の中は、自分の頭(脳)で考える(カミカヘル)人のみが、生き残っていくような気がします。誰に、何かの組織に、全権を委ねる人は、もうそれは人間としての生きる権利を放棄したことになるのでは?
自分の「頭」でしっかりと考えて生きることが「人間は考える葦である」と言われる所以でしょう。
ただし、決して、「不安」や「心配」はダメですよ。
それらを払拭するために、前向きに考えることは大切です。
私たち人間が考える「葦」になって、災害からの不安を免れ、勇気をもって生きるためにも、私は「カウンセリング」をさせて頂いている、と言っても過言ではありません。
被災された皆様が勇気をだされますように…。
ありがとうございました。