直観ひとりごと(191)大阪北部地震で起こる身辺の小さなコトから大きな「気づき」が…。
この(191)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(191)
◆大阪北部地震で起こる身辺の小さなコトから大きな「気づき」が…。
大阪北部地震から一週間が経ちました。仕事に関係する場所以外は、未だに部屋の中は散らかっておりますが、それもボチボチやろうと思います。
というのは、18日に地震が起こってから、21日まで全く後片付けをせずに、過ごしていたから、その後、何もなかったことで、安心感と同時に、ちょっと、腑抜け状態に陥ってしまったからでした…。
昨日から、やっと発奮しておりますが、それで、気づかされたことですが、唯一、我が家での壊れた物はといえば、なんと、32インチのテレビのみ、だったのです。
それ以外では、食器棚の食器は当然で、本棚の本類や、置物が壊れましたが、全部小物でした…。
ずっと前から、食器棚がグラグラしていて安定感がないので、地震が来たら危ないのではと懸念していたので、この際、思い切って、棚を解体して捨てることにいたしました。
しかし、それ以外は、テレビだけが壊れてしまい、それは、本来ならば、あまり壊れるはずはないと思うのですが、低いテレビ台から転げ落ちて、液晶の画面がミゴトに破損してしまいました。
もっと、高い場所に置いてあった、パソコンが転げ落ちずに、低い場所のテレビが壊れるなんて…。
だから、今現在も、テレビ無しですが、これが、やはり何か、「偶然」ではないように感じました…。
この意味は、「パソコン」は必要だけれど、「テレビ」はいらないという意味かもしれません。
いえ、私にとって、「テレビ」が不必要なのではなく、そこから流れる「情報」が、という意味ですが…。
普段、「テレビ」から流される「情報」も、もう一度、冷静に、考える「時期」なのかもしれませんね、特に、NHKは日本の利益になる情報を流していないような…。
「テレビ」の前は、「新聞」が、日本人の情報源でしたが、戦後50年も過ぎた時点で、私たちが正しいと信じていた「新聞」の情報が、ある部分操作されていたこともテレビや他のマスコミを通じて知ることができました。
今は、戦後70年ですが、新聞と同じ様に、今では、「テレビ」の誤報や故意の情報が、「ネット」などを通じて知ることが、可能となりました。
しかし、だからと言って、「テレビ」よりも「ネット」のほうが良いと言っているワケではありません。
テレビにも良い「情報」もあれば、ネットにも悪い「情報」も氾濫しております。
その一つが、今回の「地震情報」なのかもしれません。
なぜ、こんなにもの多くの当たりもしない、地震の予知情報を流す必要があるのでしょうか…。
なぜ、こんなにも、国民を恐怖に陥れる必要があるのでしょうか…。
要は、これからの激動の時代においては、その人が取り入れる「情報」によって、その人の「未来」も変わってくるという意味なのかもしれません。
今回、私に、テレビが壊れたという意味は、何かの大きな「お知らせ」や「気づき」ではと、感じた次第です。
地震によって、本棚から落ちて散乱した古い書物をパラパラと見ていたら、日本人の「特質」は「水に流す」と「負けるが勝ち」と書かれてありました。
もはや、現在においては、いずれの「特質」も失われてしまったようで、だから、「空梅雨」になったりするのでしょうか?
勝つことに意味がある、サッカーのワールドカップも、日本の快進撃で、溜飲を下げておりますが、でも、余り勝ち過ぎると、やっぱりちょっと、怖い!
今の物質文明、いえ、キリスト文明においては、日本人は、あまり目立ってはいけないようですね。
でも、私は、昔、サッカーの監督には、「ぜひ、日本人を!」と、かつてブログで書いた記憶がありますので、日本人には、日本の精神で、戦うことが必要なのでしょう。あの三本足の烏がとても気になります…。
サムライジャパンというからには、武士を意味する「もののふ」の精神が必要で、それはどうも、物部氏の「もののべ」と関係があるようで、それが「もののけ」にも関係があるかも?
「もののふ」の「ふ」がなくなれば、「ふぬけ」になる…。それに「化(け)」がつくと、「もののけ」になる?
とにかく、今は「地震」も心配ですが、「空梅雨」で雨が降らず、水不足になるのが、もっと、心配です。
水が人間の生存生命に関わる一番のモノですが、その豊富な水がもしも、この日本から枯渇したら…。
まして、日本人でない人もこの国には多くなり、もはや、日本人として、「水に流せ」ない人もの比率もドンドン増えて来れば、日本人の特質は消えて無くなりそうですね…。
なにはともあれ、様変わりしていくこの激動の時代、それぞれが「気づき」を意識して生き抜いていこうではありませんか?
日々、それぞれの人に起こる、それも、何気なく起こる、すべての「ヒトモノコト」が未来に向かう「お知らせ」なのでしょうか?
神様の分け御霊である私達の「魂」に感謝、です。
ミヤケレイコノミコト様、ありがとうございます。
お読み頂いて、ありがとうございます。