心のお薬になる歌(2)「ヨイトマケの唄」美輪明宏/歌
この(2)「心のお薬になる歌」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる歌(2)
◆「ヨイトマケの唄」美輪明宏/歌/h4>
美輪明宏の『ヨイトマケの唄』は放送禁止歌!
昨年のNHK紅白歌合戦での出演歌手の中で、気になる人が、美輪明宏です。美輪明宏は、反体制的な人で、今まで権力と戦ってきたというイメージの人です。だから、尊敬もされていたのです。
その反体制的な人であった美輪明宏が、権威的なNHK紅白歌合戦に出るということで、私はちょっと失望しておりました。
その思いは、昔の超人気者の方々が、絶対テレビには出ないと宣言していながら、NHK紅白歌合戦には、出たことと同じなのでは?
そういう意味では、矢沢栄吉などの出演も、なんか違和感を禁じ得ませんね~。長淵剛もしかり…。
やっぱり、テレビの歌番組に出ないのであれば、NHK紅白歌合戦にも出て頂きたくありませんが…。
結局、そういう人たちの権威に背を向けるポーズは、ただの強がりで、
それは反対に、かえって本当は権威に擦り寄りたかったのでは、と勘ぐってしまいます。
チヤホヤ人気のあった時だけ、反体制的なポーズをとっていただけで、
人気が下降するとたちまち本音が露呈する…。
そういう意味で「美輪明宏、お前もか!」って感じかな…。
今まで、60年近く、出られなかったことは、彼の勲章ではなかったか?
その60年間の年月で昇華した崇高な思いが、彼の支えともなっていたのでは?
今回の出演で、その思いが全て無に帰する…。
まして、美輪明宏の代表曲「ヨイトマケの唄」は、世に言う「放送禁止歌」!
日本民間放送連盟によって、無責任にもおとしめられてきた、レッキとした「放送禁止歌」なんですね。
「ヨイトマケ」は、差別用語として扱われたのです。もともとは「土方」という意味だそうです。
人権、人権と騒ぎすぎると、良いモノやコトもすべて抹殺される運命にあったのです。
人権、人権と騒ぐ皆さん方、なぜ、NHK紅白歌合戦の「ヨイトマケの唄」に歌うなと文句を言わないの?
「日の丸」と「国歌」だけですか? 文句を言うのは?
もしも、「ヨイトマケの唄」唄にも人間と同じ心や意識があるとすれば、超~俗的な番組で歌うことを「ヨシ!」としたかどうか…。
今までの虐げられてきた、差別されてきた、「ヨイトマケの唄」の唄の想いやいかばかりか?
そんな、悲運なこの「ヨイトマケの唄」を、アカデミックの世界から差別され続けた悲運な美輪明宏が歌うなんて!
彼に人間としての誇りと、男の意地があるのならば、出演を断っていただきたかった…。
それが、権力的なNHKを反省させるきっかけとなったコトでしょうに…。
そういう意味では、矢沢栄吉も、長渕剛も、中島みゆきも、NHK紅白歌合戦を「蹴る勇気」を国民に知らしめてほしかった…。
それでこそ、カリスマとして、ますます君臨できる…。
今まで、そういう姿勢で生きてこられたのですから…。
だから、彼らの「生きざま」が泣く、のでは?
私は、何も、NHKに出るなとは言っていないのですよ!
NHKの番組でも良心的な番組はいくらでもある。
彼らが自分の生きざまを知らせる番組には、ドンドン出ていただきたい、と願ってやみません。
ただ、今まで、彼らを無視し続けてきた、権力的、高圧的な「NHK紅白歌合戦」には出ていただきたくない。
まして、歌にド素人の審査員たちが、彼らの歌を審査する番組なんて、本末転倒も甚だしい。
これぞ、権威的と云わずしてなんという。
やっぱり、人間って、年をとると、生きざまが変わるのでしょうか?
ただ、救われるのは、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、他の歌手を圧倒して、ダントツでした…。
こちらの『ヨイトマケの唄』美輪明宏がお勧めです→
きっと、見ている若者の心にも、何かの発火点にはなったことでしょう。
そういう意味では、美輪明宏よりも、NHK紅白歌合戦のほうが、彼に屈したといえる。いえ、彼の歌に…。
今までの、彼の苦労は報われたのでしょうか。
ただ、プロの歌手のみなさんが、一喜一憂される国民的番組なんて、もういらないのでは?
でないと、昔の丸山明宏(美輪明宏)のように、悲しい思いにさせられる歌手がなくならないのでは?
かつての美空ひばりや小林幸子のように…。
歌手は歌で勝負、また、そのモノつくりに参加する人間は、それに基準を当てるべし。
また、出ないと宣言した歌手には、二度と出演を許可しない。
それが、モノつくりのプロとしてのプライドでしょうが…。
要するに、関わる人間のすべての意識が、良くも悪くも、誇りもプライドのなくなったからか…。
だったら、それを見ている国民の誇りがないのも当然なのか…。
また、「放送禁止歌」で、思い出した歌がありました。
その歌は、フォークの神様・岡林信康の『手紙』という歌です。
この歌は、部落差別のことを歌った歌で、それで放送禁止歌になったのです。
でも、歌に責任はない。
この岡林信康の『手紙』を聴きたい方ははこちらへ→
「悪貨は世にはびこる」の喩えもあり、「悪歌は世にはびこる」。
だから「良歌は世にはびこらず。だから、悪歌手が世にはびこり、良歌手は世にはびこらない、のかな~。
まさに今の世は、ことわざ通り。
はびこらせるのは、我々国民であり、国民の思い(意識)。
悪人間は世にはびこり、良人間は世にはびこらず。
だから、皆様、何も悲観することはないのです。
地道に生きて行きさえすれば、あの世では良人間があの世ではびこるのです。
なぜなら、あの世は、この世の鏡であり、この世の反転した世界ですから…。
どうしても、日本人の心に沁みる歌は、虐げられた人々の歌が多いで、ちょっと考えさせられます。日本の国って、本当は、差別の激しい国だったのでは…。
何年か前、そういう境遇の人をカウンセリングしたことがあり、それはそれは大変なセッションでした。なんと、11時間もブッ通して…。
その終わった後、この岡林氏の「手紙」を思い出したのでした…。
本来、「宿命」に悩むのは、本来、カウンセリングなんぞで、解決するはずはないのですね。不遜にも、やってしましましたが…。「運命」の悩みは、カウンセリングでは、なかなか解決策は見つからないのですが…。
でも、その人は、ミゴト、ご自分で、解決して、納得されて、帰られました…。
そういう方は、たくさんいるのでしょうね。日本人って、やっぱり、一筋縄ではいかない民族かもしれません。単一民族では決してないのです。古来から海彦山彦の物語にもありますように、天津神と国津神、天孫と出雲、源氏と平家など…。勝つ者がいれば必ず負ける者もいる…。その負けた人たちが、苦しい「宿命」を背負うになるのでしょうね。
常に、相手のことを思う民族だと言いながら、結構、薄情な民族が、この日本民族かも…。
心せねば…。