感動のカウンセリング!(47)〇〇様を見下す「心」は、ご自分を卑下する「心」と同じ?
この(47)「感動のカウンセリング!」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★感動のカウンセリング!(47)
守秘義務に則りまして、決して相談者様の特定ができないように重々考慮して書かせて頂いております。
◆〇〇様を見下す「心」は、ご自分を卑下する「心」と同じ?
今日の相談者様は、最初にメールで「『自己受容』や『自己肯定』がないと何をしても現実が変化しないのでは?」といろいろ書かれて、また勉強されていて、ご自分を整えようとされておられるのですが、「それが出来ず、分からず、お手上げ状態で、ネットでの私のサイトを読まれ「コレだ!」と思って」、申込みされた方です。
さらに相談者様は、「思い描いていた人生を生きてない、自分を進化させたい、本当の自分とは?」とここ数年色々なセミナーやセッションを受けたりされたそうです…。そんなにいろんな勉強をされても、結局、腑に落ちるモノはなく、最後に、私のセッションを受ける羽目に…。
でも、本当に、相談者様に必要だったモノは、講座やセミナーなどのソトからの「知識」を入れるのではなく、ウチなる「意識」に気づくだけだったのです。要するに、ご自分の「潜在意識」に気づくだけ…。でも誰もが、いとも簡単に軽々しく「潜在意識、潜在意識」と言われますが、一体、「潜在意識」って、何?
要するに、「潜在意識」を、いくら学問的、学術的に知ったところで、それは何のタシにもならないばかりか、かえってご自分の「潜在意識」からはダンダンと遠のくような感じがいたしますが…。ここに来られたという意味は、相談者様はもうそろそろ、ソトに目を向けるコトから、ウチに目を向けるトキが必要になっているという意味でしょうか? 『自己受容』や『自己肯定』などは、まさにウチに意識が働かないと、手に入るモノではないのですから…。
相談者様の前もってのリーディングでは、未だ、〇家の人間から〇家の人間になり切っていないのでは? という感じがしましたので、今回のセッションは、それを相談者様が認められるには、なかなか厳しいモノがあるのでは? との思いも湧いてまいりました…。
当日、お見えになられた相談者様を一目拝見して、まるで、全身、特に、肩から上に「頑固さ」の「重し」を乗せて生きておらえるような雰囲気で、これは、きっと、相談者様がそう望んで、意識してやっておられるのでは? と…。もしもそうであるならば、かえって、相談者様には、「寄って立つ」べきモノを、ご自分の中にお持ちでないのでは?
でもこういうパッと見の強い方は、本来は、とても素直な「性根」をお持ちなので、私は、やはりお会いできて良かったとも感じました。さァ~、どうなりますことやら…。
しかし、いまだ、相談者様は、心の準備が整わないようなので、当り障りのないセッションが進んでいき、そしてイメージ療法の「内観」に進んだ途端、相談者様は「涙」を流されて、それに対して、びっくりされる…。そりゃあそうですよね。それが始まって10分かそこらで、「涙」がでるなんて、きっと想像もされていなかったことでしょう…。いろんなセミナーを受けられた経験豊かな人なので、そんな簡単に「涙」が出るなんて…。だから余計にびっくらコン!
そして、イメージの「インナーチャイルド」では、〇学や就職や結婚に絡む「負の意識」が出てきましたが…。それをキッカケとして、いよいよ、イメージ療法の潜在意識の「マンダラ」へとアプローチが進んでいきました。
そのイメージの「マンダラ」では、やっぱり出るんですね~。相談者様の「不安」というか、それゆえに「求める」モノが…。それは、使命は「お誕生日」から「翁」が出て、トラウマは「家族」から「ちゃぶ台」と出て、過去は「保険」から「仏壇」を意識して、未来は「お金持ち」から「ショー」を望まれているのです。また、本質は、「仙人、集い、和尚さん、和菓子、悟り、一休さん」から「頓智(とんち)」と出たのです。
本当の相談者様は「頓智(とんち)」なので、リコゲに生きる人ではないのですね。相談者様には「知識」などは必要ではなくて、生きる「知恵」や「笑い」が必要だったのです…。でも相談者様の印象は、学校の先生か、なにか偉い人、あるいはできる人、要するに「優秀な人」と思われたくて、生きておられるような雰囲気が漂い、「使命」の「翁」を勘違いして「本質」のように振る舞っておられる感じがいたしますが、ちょっと「意識」の掛け違いが起こっているような…。きっと、人にバカにされたくないという思いが強い方なのかも…。
私は最初、トラウマの「家族」とは、〇家のことかと思っていたのですが、それは、ご自分の今の「家族」で、〇や〇〇たちとご自分の関係が「トラウマ」に陥っているのではと…。
相談者様の家族は「ちゃぶ台」を囲むほどの暖かい家庭ではないのでは? そんな「場」を〇親として提供してこなかった…。過去も、相談者様には思い当たると言われ、また未来の「お金持ち」も、お金がないと自分の想像する人生が素晴らしいショーのようにはならないと…、
要するに、お金の「恐怖」が常にある…。それが〇との関係にも繋がってくる…。要するに、たくさんのお金を稼ぐほどの甲斐性ある〇ではない、だから不安がつのる…。だから〇は、ダメ…。本当の悩みは、ご自分の悩みではなく、〇として、〇として、要するに人間として、今の環境が不満で、不安で、そのもとは、全部ダメな〇にあると…。
そういうことが出てきた中で、その「お金」のことを正当化するために、相談者様は〇のことをコテンパンに話されるのです。こういう〇を悪く言う人には、普通のカウンセラーであれば、ご無理ごもっともと、全く反論せずに、おとなしく「共感」しておいて、またのリピート客として、受け入れるのが常套手段なのですが、私は何といっても「一回こっきり」をモットーにしていますので、そうはいかないのですね。まして、本当に、相談者様が大切で、心配であれば、「共感」なんて、できないのですよね。〇〇様の「良い面」をぜひとも、見る目を取り戻していただきたいと、切に願うものなんですね。
私は真剣に、今回も、「〇〇さんが悪いのではない。なぜ、〇家目線で、〇〇さんを見下すの?」と…。すると、相談者様は納得できないコトしきり。しかし、ここで引いては、一生、相談者様を「闇」から這い上がらせることはできないと感じたので、さらに私は「ご自分も〇〇さんと同じ家の人間で、もうあなたは〇家の人間ではないのです。それをいつまで〇家の人間として生き続けるのか? それも〇家からの上から目線で、〇〇さんの家を見下して、それはとりもなおさず、今のご自分の位置を卑下したりするのと同じで、さらに〇〇や〇にもそれを感じさせたら、いつかきっと、〇らからあなたはシッペガエシにあうでしょう。なぜなら〇〇たちはれっきとして〇〇さんの家の人間なのですから…」と…。
〇家には、れっきとした〇〇がおられ、また相談者様は〇〇でもなく、すでに〇家を出て行き、〇家に嫁いだ人なのです。結婚式で、ご自分の直霊(ナオヒ)と産土神様との誓約(契約)で、〇家との縁を切り、〇家先と縁を結んだ人なんですね。だから〇家とはもうあの世(?)では、他人の関係なのです。だから、今の〇家先の名前が本名となって戸籍に刻印されているのですね。それに背くということは、ご自分の直霊(ナオヒ)に背くことになるんでしょうね。
そこでうっすらとコトの重大に気づかれたようですが、長年そういう〇家からの上から目線でみる「癖」は、たとえ頭で分かったからといって、そうそう一瞬にして、変われるものではないんですね。それがアリアリと読み取れるのですね。でも賢い相談者様は、それに必死で堪えておられるようで、本当の性格は、心優しい方なのでしょうね。
これを受け入れないとダメだということも分かっておられるようで、その後は平静に戻られ、私もそれにつられて、穏やかに時間は流れていったのでした…。私が、真剣にしゃべっているからこそ、相手も固い心がほぐされていくのですね。やっぱり、どちらも「命がけ」にならないと、そんなに人の「意識」や「心」は変わるものではないということを、このセッションでも悟らされたようでした。
相談者様に変わろうと前向きな意識が現れると、不思議や不思議、お顔や波動まで、柔らかい感じに変わっていったのですが、これには、あまりの変化に見ている私まで、感動モンでした…。あの肩から上の「重し」がすっかり取れたようで、もう大丈夫。だからこのセッションは、しんどくても、辛くても、やめられない、とまらない!
というお互い、気分のよい終わり方で、終了とあいなりました。相談者様はまさかこんな展開になるとは、想像もしていなかったようです。それはそうでしょうね。最初は、ご自分の『自己受容』や『自己肯定』などというカッコイイ言葉で誤魔化していた悩みの本当の問題、それは、〇〇の問題だったのですから…。私自身も、ここまでの変化が起きるとは想像できませんでした。
要するに、ご自分の本当の問題は、〇〇問題であり、それも〇に問題があると信じて疑わなったのが、その本当の本当の原因が、まさに当の本人、ご自分にあったというのですから…。きっとそれを100%受け入れるには、少々トキも要するでしょうし、場を変えることも必要でしょうが、もう大丈夫。受け入れる「意識」が起こっただけでも、みっケモノ!
本当に、意識すべきところは「外」ではなく、ご自身の「内」で、要するに「内面」や「心」の中、それこそ、「意識の中」なのですね。それをこれから追及していって頂きたいと願ってやみません。それは、真摯に、家族の人たち、夫や子供と向き合うこと、それしかありません。
こういう相談者様のように「我」の強い方は、本当は、性根というか、心根は、すこぶる良いのです。私は、何十年も経験してきて、分かるのです。だから、ツヨク、キツク、言うのですね。そうでなければ、決して、恐ろしくて、言えません。
性格が悪く見える人ほど、親鸞のいう「悪人」であり、それは、本当は、「善人」であるということなんですね…。本質が「とんち」なので、一休さんのように、いつも「笑い」が絶えない人生を送らないとダメなので、相談者様が周囲の雰囲気を和らげるように、常に意識して生きれば、思う通りの人生が手に入り、きっと「お金」の心配もなくなるでしょう。そうすると〇〇様ともうまくいくことで、それをみて〇〇さんも安心されるでしょう。
今回の相談者様も、今のあるご自分のいる「場」や「環境」に感謝して、なぜ、今、自分はこの家の人間として、生きているのか? 生かされているのか? をきっちりと「内観」すれば、相談者様の求める「答え」はすぐに見つけられるのです。それはあえて、『自己受容』や『自己肯定』などどいう大層な概念を持ちださなくても、いいのですね。そんなモノを持ちだすから、結局、ご自分の「本質」から遠のくばかりです。
でも、もう安心です。自分のウチに向かうという意味は、自分の分身である「〇〇」や「〇〇」のことを真剣に考えるという意味でもあるのですね。それに目を向ければ、そこには「愛」があり、その「愛」を包みこむことによって、逆に相談者様にも「愛」が返ってくるでしょう。ブーメランのように…。
最初、大変では? と思ったわりには、終わってみれば、バンバンザイで、ほんと、貴重なセッションに、感謝、感謝、感謝!
だから、この世は生きていて不思議なのでしょう、だからこそ生きる価値があるのかもしれません。だからこそ、セッションをする価値もある、のでしょうね。
三宅麗子の「魂」が浄化できますように…。
相談者様の「魂」に感謝!
悩める多くの方々も、これを読まれて、意識が変わることを願っております。
ありがとうございました。