感動のカウンセリング!(22)私のミスも決して偶然ではなく、相談者様の意識改革には必然なコトだった…。
この(22)「感動のカウンセリング!」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★感動のカウンセリング!(22)
守秘義務に則りまして、決して相談者様の特定ができないように重々考慮して書かせて頂いております。
◆私のミスも決して偶然ではなく、相談者様の意識改革には必然なコトだった…。
今回は二度目の相談者様のご紹介です。このセッションでは、私が大きなミスをしてしまい、これを書くことで、謝罪をしたいと存じます。なぜなら、謝罪の連絡をしたくても、連絡先がわからないのです。どうか、相談者様、これを読まれたら、メールをくださいませ。
また、ブログの読者様方には、私のミスをお伝えして、カウンセラーも大きなチョンボをすることがある、ということをご理解して頂きたいと存じます。でも、そのミスも、今回のセッションには必然だったとも…。
カウンセリングの守秘義務等とは、クライエント様を守るというよりも、世間的にはカウンセリングをする側のセッションの不成功を秘密裏にするような気がしてなりません。だから、今回はあえて、私の大大チョンボを書くことに致しました。
今、このブログを書くにあたり、前回のブログを読みかえしたのですが(現在は削除)、そこには、奇しくも「私自身も1回では無理かもしれないのでは?」という懸念を持っていたのですが、それが、〇年で実現(?)するとは、なんとも複雑な思いに駆られております。前回は、〇〇のことと〇〇様のこと、今回はご自分のことで、セッションを予約されました。
また、前回のブログの最後のほうでは、「相談者様には、本当にご自分が感じる生の思い、相手を罵りたい、罵倒したいという強い意識、それが出来ないと、その不遜な思いは、悪(マイナス)となって潜在意識に深く深く沈澱してしまうのですね。そして、何かの時には、意識しないのにも関わらずその悪意識が顔を出してしまい、また、同じ人生を歩んでしまう、堂々巡りの人生を生きてしまう、そういう懸念があったのですね。」と、今回の答えになるようなことも書いていて、その偶然に、「そうだったのか! そういうことだったのか!」と今回のセッションの不可解さに、思わず、合点がいった次第です…。
今回、〇〇時のセッションの予定のはずが、相談者様は、なぜ、何の連絡もなく、〇〇分も前に来られたのか? それを私が、なぜ、問題にしたのか? また、新幹線で帰らないといけないのにも関わらず、私が予定時間をオーバーしても、なぜ、終了と言わなかったのか? 自分でもトント、解せなかったのです。
また、前回は、殆ど私がしゃべって、私が答えるというセッションだったのですが、今回はもっとひどくて、私自身が、彼の直接の問題に何の関係もない話ばかりを、次から次へと喋りまくり、なぜ、今日は、勝手な話ばかり喋ってしまうのだろうと、ところどころで気がつくのですが、喋りはじめると、またもとの木阿弥で、ダラダラ違う話に、という感じになってしまうのです。
気の弱いというか、心根の優しい相談者様は、「自分が聞きたいことを先生が喋ってくださる」というようにプラスにお答えになるので、益々私は増長したのでしょうか? この潜在意識のカウンセリングは、一回こっきりのセッションゆえ、相談者様がリラックスされるように心がけています。普通の対話や会話の中から、相談者様は何らかの触発を受けて、頭の中がスパークして、顕在意識で具現化できていなかったモヤモヤしたモノが、「言葉」になっていき、それが一つの考えや意識となって本人に気づきを与える、と私は確信しています。
それは言揚げしない日本人だから、可能な方法なのです。心の中や頭の中には、言揚げしないモノが一杯詰まっているのだけど、具現化できないだけなのです。誰かが誘発してやれば、まとまったモノが湧いてくるのです。それを具現化するのがこのルームともいえるのですね。
今回、私は、「前回では殆ど、アプローチのイメージ療法をやらなかったので、今日のセッションは、それらを重点的にして、もう対話セッションは必要ないだろう」と、軽く、考えていたのですが…。ところがふたを開けてみたら、やっぱり、私の話ばかりで、相談者様は、文句の一つも言ったり、或は嫌な顔をしたりしてもいいはずなのに、あに反して、〇は一切、そういう態度はなさらないのです。
そして、それが大きな問題だったということが、セッションが終わり、夜になって、〇が約束を無視して〇〇分も早く来られたことに関して、私の中では、「相談者様はそういうイメージの人ではないのに、なぜ彼は予定の時間を無視されたのだろうか?」という疑問がフツフツと湧いてきたのでした。
セッションの最初では、私は偉そうに、諭すように、早く来た行為を、「相手の立場を考えないといけないし、今日はそれが問題提起になるんでしょうね」なんて、相談者様にあてつけがましくしゃべっているのです。でも、事実は、そうではなかったのです…。私の間違い、ミスだったのです。彼の取った行為は、全く問題がなかった、正しかったのです。普通の「人間智」で考えれば…。でも、それは、全く違う意味での「お知らせ」だった! だから、このカウンセリングは「潜在意識」のカウンセリングと言われる所以、です。
私は前回のブログを読んでみて、やっと思い出したのです。予約をされたときの状況が…。あの時は電話で、確か、相談者様は、前日から大阪に来て1泊するので、「次のセッション当日は、早いほうがいい」と、それを受けて、私が「だったら、10時前に来てもいい、9時半ごろでも…。」と言ったような気がします。〇ヶ月ほど前の予約申込みだったので、それをすっかり忘れてしまっていたのです。
セッションが近づき、その前日に確かめたら、そのメモには、「10時」の文字を赤〇でグルグル囲み、何度も濃くなぞっているのです。目立つように…。だから、私は、そのメモを見て、先の時間設定を思い出しもせずに、きっちり10時ジャストと勘違いしてしまったのです。今回は100%私のミス、間違い、だったのです。相談者様には何の落ち度もなかったのです。これも、人間の現象世界では…。
そんなミスっている私に対して、寛大な相談者様は、私の理不尽な言葉を制することもなく、また、ご自分から誤解を解こうともせず、反論も一切なさらず、ただただ恐縮されるばかりの、〇にとっては、不本意なセッションスタートだったのです。きっと、反論したかったでしょうに…。そうなんです。反論したいのにしない〇、できない〇、ここに、この寛大なる対応を取る「〇」に、今回、〇が、このセッションを受けなければならなかった、「答え」が隠されていた、いえ、示されていたのです。
でも、これが、実は、今回のセッションするテーマ、いえ、しなければならなかった唯一のテーマだったのです。なぜならば、理不尽な「私」に対する〇の取った「対応(弁解しない、反論しない、自分が正しいと主張しない対応)」に、〇自身が、今度こそしっかりと気づいて、反論するための最後のチャンス、それが今回のカウンセリングだったのです。なぜなら、私一人では絶対起こらなかったシーンであり、〇だからこそ、こういうシチュエーションが起こるのですね。私は、理不尽な〇〇や〇〇と同じ、だったのです。結局、「相手変わって、主変わらず!」。〇の優しい対応は、結局、〇を「善人」、〇〇を「悪人」にするのでしょうか? だから、〇の意識は、変わりたくても変われない…。いえ、変わらない。
相談者様の対応は、〇の今までの人生で習慣化されてきた、問題の「行為」や「対応」だったのです。決して「神対応」とはいえないのです。なぜならば、神対応には、決して我慢は伴わないのです。自然の心から出る行為なのです。でも、〇の行為は、100%の「神対応」ではなく、「人対応」ではなかったでしょうか? だから、自分の落ち度がなくても、我慢に我慢をするけれど、それが何度も続いたり、故意にされたりだったら、ついに限界点まできて、心がモンモンとしてしまう、というのが今までの生き方、生き様だったのではないでしょうか? 「神対応」ならば、心も喜ぶのですから…。
今回のセッションは、相談者様がきっちり反論して、相手(私)に非を判らせる、ためのセッションだったのです。私の間違いを指摘しないといけなかったのです。それには、〇の強いエネルギーと意志がいるのです。だから、すべて、必然のセッションだったのです。
そして、そんな私の間違いから、表面的には惨憺たるセッションとなってしまったのでした。焦る私を尻目に相談者様は、相変わらず、一言か二言発しては、私の言葉に耳を傾け、また一言二言発しては、私に耳を傾け、という対話(?)セッションが、延々と続いたのです。色々な話題になったのも、全て必然だったのです。それらの不自然な出来事に、私がもっと早くに気づくべきだった…。全部が必然だった…。〇自身の気づきのセッションでもあった…。
そして、やっと、最後のほうで、今世のテーマ(使命)のイメージ療法をすることに。ところが、これが中々スムーズにコトが運ばない。相談者様にイメージが沸かないのです。感情が顕在意識に上がらない人とは、想像はしていたのですが…。これも大きな大きな気づきだったのですが…。そして、やっと四苦八苦して出てきたのは、ナント、今世の使命は、ナント!「仕える」だった!
私は、それを聞いて、鳥肌がたったのですが、相談者様は、あまりピンと来られていないような…。私が「何に、仕えるの?」とか「誰に、仕えるの?」とか聞いても、即答できないようでした。もっと時間が許されるのならば、じっくりこの「仕える」に焦点をしぼっていきたかったのですが、そうもままなりません。でも、本当に大事なことは、出てきた結果よりも、それに至る過程が〇にとっての大きな問題だったのでした。結果に惑わされて、それも見過ごしてしまったのです…。こんなセッションになったのは、ホント珍しい。
そして、結果のほうに気を取られて、私が「神に仕えるのでは? 神(宇宙)というのは、結局、自分(小宇宙)に仕えるということなのでは?」とお伝えしたのですね。相談者様はそのとき、微妙だけれど、フッと波動が変わったような…。
最後に、私は「使命を調べられてホント、よかった、この使命を導き出せてたお蔭で、やっとなんとなく今回のセッションをやった意味があった」と相談者様にお伝えしたのです。
相談者様は、今までのように、周囲の人に気兼ねして、気を使い、彼らの言いなりになるのは、もう卒業すべき時だったのです。その周囲の悪役を私が演じさせて頂いたのです。〇が正々堂々と、正当なことをきっちりと反論できるようになるための、テストだったのか…。そうと思えは、全部合点がいくのです、腑に落ちるのです。これは第一の気づきだったのです。
だから、最後のテスト(?)でも、相談者様が帰りの新幹線が気になりだしても、〇は我慢に我慢を重ねて、私の話を聞いておられたのです。ボディーランゲージで手に汗まで出しながら…。私も普段の私ならば、絶対に見逃さない信号を全く無視するように喋り続けるのです。まるで誰かに強いられるような感じで…。
今考えてみますに、相談者様の正直な気持ちを相手に伝える訓練を、最初から最後まで、〇の望まないコトばかり、させられていたような…。誰にって神様に、ではないでしょうか? いえいえ、〇の「魂」に…。そして、相談者様の申し訳なさそうな「あの~、もう帰りの時間が…」とかなんとかいう制止の言葉で、やっとセッション終了と相成ったのです。私もホッと安堵したのは、一体、なぜ?
するとその言葉を発してからの相談者様に明らかな変化が見られたのです。私のことやセッションのことをご自分の言葉でしっかりと述べられたのです。玄関先で靴を履くまで、彼はトツトツと、喋られたのです。その時も、私は、なぜ、〇がしゃべりだされたのか、その時は、あまり気にしなかったのです。
そして、このブログを書くために、前回のブログを読んで…。第二の気づきに気づかせて頂いたのです。どんな立場の相手であっても、相手が間違っていて、自分が不当な利益を蒙ったり、理不尽な思いに駆られる場合は、必ず、しっかりと相手に伝えることが重要なのだということを、相談者様が悟るための、貴重なセッションだったです。
でも、最後の最後で、相談者様は一言ことばを発せられたのです。私の言葉を制する一言を…。それこそ、「一言主命(ヒトコトヌシノミコト)」の神様が降りられたよう…。
相談者様の第一の問題は、相手にしっかりと、自分の意志を伝えること、だったのです。そして、第二の問題は、彼自身の問題、感情を意識することだったのです。良い感情も、悪い感情もストレートに意識すること、だったのです。
我慢をご自分に強いれば強いるほど、自然でなくなり、何れ、意識の中に、相談者様の字源の基字である「斤」や「刀」が出てきて、自分で自分をその武器で、無意識的に傷つけてしまいます。自分の感情に正直に目を向けることが、良い感情も素直に感じることができるようになるのです。
さらに、私が関係のない色々なことをしゃべったのは、相談者様は、もっと仕事以外のことに、人間の生活や営みや趣味などに、興味を持つこと、だったのです。これが第三の問題、だったのです。そして、これらの問題はすべて、繋がっていたのです。
お互いがしっかりそれらを意識しないままに、でも、最後に、優しい相談者様は「やっぱり受けてよかった」と一言おっしゃってくださいました。
この相談者様の言葉は、お世辞なんかではなくて、心から発したことばであると、私は信じたい。本当に、それらの問題を無意識ながらも、クリアできた、お世辞やウソ偽りのない「神対応」の言葉だったと信じたいのです。解決したからこそ、「受けてよかった」と…。そして、帰り際、人が変わったように、とっても饒舌になられたのだと…。
そして、これからは、心から、自然に、どんな場合でも、きっと相談者様は、「神対応」されることでしょう。そう、今世での「使命」でもある、神様に「仕えれば仕えるほどに…。」 ただただ、感謝、感謝、感謝です。
そして、相談者様、本当にごめんなさい。反省しています。私もクライアントのようでした。以後、気をつけます。本当に申し訳ございませんでした。
後日、相談者様から、もちろん「神対応」のメールを頂き、ホッと安堵いたしました。ありがとうございました。世の中には、ホント、偶然って、ないのですね。わかっているつもりでしたが、今回、終了してから、骨身に染みる程、感じさせていただきました。私の神様に感謝、です。さらに、精進してまいります。
三宅麗子の「魂」が浄化できますように…。
相談者様の「魂」に感謝!
悩める多くの方々も、これを読まれて、意識が変わることを願っております。
ありがとうございました。