「病気」って何? 「精神障害、精神病」って何?
この頁は、「病気って何? 精神障害、精神病って何?」の頁で、カウンセリング歴30余年の大阪の「1回5時間」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト&メンタルコーチ三宅麗子のサイトです。
この頁の項目には、
1、そもそも「病気」って何?
2、「精神障害」や「精神病」って何
3、楽をした者勝ちにならないのが、この宇宙の仕組み。等々。
「精神科医も心理療法士も心理カウンセラーも増えているのに、なぜ、精神を病む人は、減らないのでしょうか?」
カウンセリングブームの到来で、「一億総カウンセラー」の時代に突入! で、精神科医や臨床心理士や心理カウンセラーがドンドン増えてきて、良い「お薬」もドンドン開発・製造されているにも関わらず、「精神を病む人」が一行に減らず、反対にドンドン患者さんが増え続けているのは、一体、なぜでしょうか?
さらに、ドンドン増え続ける「精神」の「病名」等は、ネットの影響なのか、一億総カウンセラーなのか、驚くほどの詳しい知識があり、、このルームに来られる相談者様の殆どの方々も、気になる「病名」を、ご自分で申告されますが、これも、何か、変? 病名を知っても、治らない? いえ、精神科医は、治せない?
そもそも「病気」の正体って、一体、何なのでしょうか?
★そもそも「病気」って何?
◆病気の正体とは?
病気って「気の病い」や「病いの気」と書きます。その「気」とは、「気持ち」とか、「気分」とか、要するに、見えないものの代表で、それは、「心」のことかも…。という意味は、すべての「病気」には「こころ」が絡んでいる?
その「こころ(意識)」から、「現実」がつくられます。要するに、「こころ」がおかしくなれば、「現実」がおかしくなり、それが「病気」をつくることになります。
「肉体」の病気も、突き詰めていけば、ほとんど、「こころ」が絡むのではないでしょうか? それに焦点を当てたのが「心療内科」でしょう。しかし、現実に、現れる「病気」のほとんどは、そもそも「精神的」とか、「心因的」とか、「心気的」とか、「心身的」とかに、分けること事態がおかしいのではないでしょうか?
要するに、病気には全て「気」という「こころ」が関わっているのだから、わざわざ「心療内科」と呼ばずともいいのでは? なぜならば、人間は精神と肉体とは分離できない「生き物」だから…。「気」が尽き果てたトキに「死」が訪れる…。だから、「心」を意識して、大事にすれば、「病気」から離れられる…。
「気」とは、昔からの概念では、「精」とか「霞」とか「プラーナ」とか「宇宙エネルギー」の一種で「生体エネルギー」とも言われています。
要するに、「気」も「心」も、人間の目には見えなくて、形の無い、捉えどころのないモノという概念です。
そういう得体のしれない(?)「気」というモノに、「病名」なんて付けられるのでしょうか?
いえ、「病い」として「気」を捉えていいのでしょうか?
いえ、「病気」と断定できるのでしょうか?
要するに、断定した、固定名詞である「病名」を付けられるのでしょうか?
一体、だれが?
一体、様々な、病名は、だれが、つけるのでしょうか?
特に、「肉体」の病気ではなく、「心」の病気なんていう、見えないモノに、どうして「病名」をつけることができるのでしょうか? 解せませんが…。
昔の日本の縄文時代には、「医者」もなく、「病気」もなく、「病名」を付ける人間もいなかったそうです。そんな環境の中で、怪我などの「外傷」と山火事などの「火傷」だけは、人間の身体を損傷する目に見える症状なので、普通の健康な体ではないと、認められていたそうです。
そして、その治療には「普通の人々」が当たっていたそうです。あとの諸々の原因のわからない健康でない人には、「呪術師」が、医者の代わりとなって、「神がかり的」に行っていたそうです。
私は、現代では、目に見える肉体に関わる「病気」や、目にみえない「病気」でも、ウィルスや細菌などの病気は、やはり「現代医学」の医師の診断や治療は必要だと思います。もちろん「薬」も必要で、なくてはならない物だと存じます。また、遺伝に関わる精神病もきっちり、「病気」と認識すべき、と存じます。しかし、それはほんの一握りだと思います。
しかし、今の世に蔓延している「成人病」や「精神病」は、たぶんに製薬関係や医療関係から、意識的に「病気」が作られ、正式な「病名」をつけられるとも、思っております。なぜなら、医師の製薬の使用は、「病名」がないと投与できないからなのですね。要するに、まず「薬の研究」ありきで、そのできた薬を処理するために、また新たな研究費を捻出するために、「病気」や「病人」が必要な現代社会なのです。その中には、もちろん病人にとっては有り難い「名薬」もありますが…。
また、ストレス社会においては、「精神障害」の殆どが、ストレスから来ているともいわれていますが、その治療に、外国では、日本の「内観」や、宗教性を排除した「瞑想」などに注目が集まっています。古来からある「モノコト」を応用した、日本文化が持てはやされるのも、今のストレス社会においては、何か意味があるのでしょうか。未来を日本が担うというのは、こういうところからもきているのでしょうか。そのためにも、まずは、日本人が日本の文化を自分の魂に取り戻さなければ、日本人がこの地球に存続する意味はないと存じます。とかく、日本人は「内のモノ」には価値が低く、外から入って来るモノには価値をおきすぎるきらいがあり、これは、日本人の潜在意識の中には、強い渡来人に征服された「劣等感」からくる「意識」が影響するからでしょうか?
◆病気に名前を付けた途端、魔モノと化す?
また、病気(症状)に「名前」を付けると、その名前に魂が宿り、命が吹き込まれて、その病気の概念が固まり、それが大きな力(パワー)となって、そのモノの機能(作用)として、病気が活動を始めるのです。
それは、人間の「意識」のなせるワザであり、「名前」とは、そういう人間の意識が集まって、固定化されて、それが「病気」という存在となって、潜象界から、現象界へと現れるのです。
そして、ドンドン、「病気」は人間の手に負えずに、人間の潜在意識に蔓延り、魔モノと化すのでしょう。
そして、本物の「病気」となるのです。人間が「病気」と認め、「意識」した途端、それはドンドン成長して、ついには人間の生命をも奪うほどの威力を発揮するのです。
だから、安易に病気に「名前」を付けると、怖いのです。いえ、病気と「意識」してしまうと、怖いのです。
だから、病気になるのは、とても簡単なのです。なぜなら、一旦、病気と信じると、誰もが、信じたトキから病気になるのですから…。
◆現代人は、潜在意識では病気になりたい人が多い?
現代の日本には、昔からの日本古来の医療や治療を捨て、江戸時代からのオランダやドイツからの治療も捨て、アメリカ輸入された、「原因」を追求しないで「現象面」だけに焦点を当てた姑息的な治療(対症療法)が蔓延ってしまいました。
昔ながらの「病理学」を研究するのではなく、形のない「病気」に、形のある「薬」をバンバン投与するような、製薬業界主導の「物理薬」や「先進技術」優先となってしまい、殆どの日本人が、病気の一つや二つを抱えて、生きているというのが、「薬」を愛する日本人、という意味は、「病気」を愛する日本の現代人なのです。それが、今や、「精神」や「心」の世界にまで、入り込んでしまいました。
これって、おかしいと感じませんか?
こういう素朴な「疑問」から生まれたのが、「潜在意識の本質と使命とトラウマの心理カウンセリング」なのです。なぜならば、今の現代人は、潜在意識では、病気になりたい人が多いのです。いえ、不安定な、不可解な「現象」から目を逸らすために、「病気」という確定(?)した概念を信じて、いっとき安心(?)したいだけなのでしょうか? 原因不明な症状でずっと悩み続けるほど、人間の精神は、強固な意志は持ち合わせていないのでしょう。だから、古来から日本人は、精神を鍛えることに価値をおいたのでしょうか? 病気に囚われ、クヨクヨ悩むよりも、その悩みから意識を逸らせるために、昔の人は、精神統一や座禅を組んで、心の安定を図る努力をしたのでしょうね。
要するに、「病気」の問題というよりも、その人個人の「性格」や「本質」への無知、また、「モノの味方」や「考え方」や「生き方」の確固たる知識の無さ、また、「人生」を生きる指針の無さ、など諸々の「感情」からくる「不安」や「自信」の無さゆえの諸々の「恐怖」が原因なのです。それらの根底には、人類の集合的な悩みである「寂しさ」からくる「孤独」から逃れれるために「病気」とお友達になる人も多いのでしょうか?
★「精神障害」や「精神病」って何?
◆なぜ、精神を患う人が蔓延したのか?
現代社会は、「一億総適応障害」の時代と言われています。
なぜ、こんなコトになってしまったのでしょうか?
様々な「原因」が考えられますが、やはり「精神病」という病気が、この物質文明の世の中において、「モノ」としてのビジネスの対象になってしまった、ということが一番の大きな「原因」ではないでしょうか? 教育が「教育産業」と言われるように、医療も「医療産業」言われ始めてから…。
それらを「産業」と呼ぶことに、私たちは、チットモおかしいと感じていないのですね。
だから、ドンドン「病人」が産み出されても(?)仕方がないのでしょうか…。「悩み」と対峙できる強い精神力がないからでしょうか?
だから安易に、心療内科や精神科へ訪れるのでしょうか。今では、殆どの人が、病気に対するなんらかの「不安」を抱え、いつ、精神を患ってもおかしくないと、感じている人も多いのですね。
しかし、本当に、精神を病み、実際に、苦しんでいる方々もおられるコトもまた事実です。
医療が「医療産業」になり下がってしまった結果、金設けに走る医者もいますが、患者のほうにも、一部の心無いずるい人たちのせいで、真の病人まで「色眼鏡」で見られかねません。
しかし、健康な人が、一生懸命真面目に働いているにも関わらず「損」をして、その反対に、現代の風潮に上手く乗って、その権利を上手く利用する人のほうが「得」をする社会って、いずれ、ひずみが出るでしょう。
それが進むと、そのうち真面目に働く人は、この日本にはいなくなる恐れも出てきます。いえ、もうすでにその兆しが見えています。だから、「医療産業」にドップリと浸かれる社会が、「一億総適応障害」と言われるほど、精神を患う人々が蔓延した大きな「原因」でしょうか?
そこから抜け出るには、日本人の一人一人の「意識」が大切なのです。
要するに、「病気」には、決してならないという強い「覚悟」が必要なのですね…。
たとえ、身体の中の「60兆」もの「細胞」の1割(6兆)が、病気に侵されても、残りの54兆もの正常な「細胞」で、「健全」に生きられると、まずは、ご自分の顕在意識に強く刷り込む(刻印、念じる)のです。それを強い信念(覚悟)でやり続ければ、その思い(想念)が、潜在意識をゆり動かし、「自分の身体は正常だ、だから自分は健康だ」、という強い意識が、「顕在意識」に戻り、その強い意志のもと、この世で健康人間として、b>生きる自信が生まれるのです。いえ、そう固く固く信じ切った者だけが、今の病気意識が蔓延している世の中で、健康人間として、健やかに生き抜けるのです。
その結果、「絶対に医者のお世話にならない、絶対に薬は飲まない」という強い「覚悟」が生まれるのです。それが、健全な生き方に繋がるのですね。要するに、病気を受け入れない、病気を「意識」しない、という、病気を「意識」から排除した強い生き方が、苦しい「病気」から逃れられるのです。たとえ、身体が何かの「病気」に侵されているとしても、決して「病気」に負けない生き方、を手に入れることができるのです、それが、決して病気を「意識」しない生き方、なのです…。
さらに、必要以上に「死」を恐れない「意識」も、病気から「縁」のない人生を送る「コツ」ともいえます。
★楽をした者勝ちにならないのが、この宇宙の仕組み。
◆人間、死んだら終わりの世界ではないのです。
あの世とこの世は、「鏡」の如く、正反対の世界です。
あの世が、本当の世界で、この世は「仮り」の世界です。
この世は、現世(うつしよ)といって、うつされた世界です。
あの世のコトがこの世にうつり、この世で現実となる…。
この世で行ったコトの反対が、あの世で意識させられ、それを、さらに輪廻転生して、この世で経験させられるのです。この世で、騙した人は、来世では、7倍になって、騙される…。この世で、悪いコトをした人は、来世で、7倍、悪いコトが襲ってくる…。自分の捲いた「種」は、いずれ、またこの世で、7倍に増えて、刈り取らされると、昔の日本人は信じていたからこそ、決して悪いことをしてはいけないという、暗黙の「教え」があったのですね。だから、その教えに反し、それが「カルマ」となるから、生まれ変わりが気の遠くなるほど続くのでしょうね。
だから、人間として生まれたからには、人間として「責任」をもって生きるコトが大事なのです。
その第一が、まず、人間として「決して、病気にはならないぞ!」 という強い信念が必要です。いえ、そういう「意識」も排除して、「病気」にも、「健康」にも、囚われない、拘らない、要するに「気」にしないコトが、病気から「縁」のない人生となるのでしょうか? それが正しい人間を生きる、正しい人間の生き方といえる…。とにかく、「病気」だけでなく「健康」という概念すら、心の中から捨て去ること…。
よって、病気のない人生を送るには、「心」を平穏に保たせるように、感情(喜怒哀楽)の「喜と楽」だけを意識することでしょうか?
そのために、この「潜在意識の本質と使命とトラウマの心理カウンセリング」がお役に立ちます。
|【「潜在意識の本質と使命の心理ウンセリング」】|「病気」って何?|潜在意識の本質と使命の心理カウンセリングって?|成り立ち!|特長!|