直観ひとりごと(98)お箸の文化を持つ国民性は?
この(98)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(98)
◆お箸の文化を持つ国民性は?
昔、明治の初期には、政府の要人たちが、西欧を訪れて、その文化の高さに驚嘆し、劣等感を持って帰ってきたそうです。
その結果、浅はかにも西欧文化をガムシャラに取り入れ、西欧に追いつけ追い越せとの思いで、日本文化をドンドン捨て去ったようです。
その浅はかな明治の要人たちが、日本の偉人などともてはやされて、今では、お札にまで登場しています。
本当に、現代の日本人って、愚かですね~。
なぜなら、いくら西欧が高度の文化を持っていると言っても、彼らの文化は、植民地、奴隷文化で、決して、平等ではないのです。
また、彼らの生活道具を見れば、明らかに文化度は低いのです。
その証拠に、人間は猿から進化したと言われます(これは彼らの論です)が、もしそうであるならば、もともと猿は、物を食べる時は、手づかみで食べます。その猿が人間として進化していくと、手づかみから道具、即ちスプーンへと変わります。その次に、お箸へと進むのでしょうが、それが進んでおりません。スプーン止まりで、とても、「お箸」なんて器用には使えない。
でも、日本人は、小さい子どもでも、器用にお箸を使いこなします。
また、お茶わんやお椀を持って、両手を使います。それが脳を刺激します。
だから、日本人は、全世界でも一番、繊細で高度の文化を築くコトが出来たのではないでしょうか?
手を器用に使うのは、高度な人間の文化である証拠です。
日本以外にも、他の国々ではお箸を使うと言われますが、それは、日本のような「箸に始まり箸に終わる」と諺にもあるほど、複雑なしきたり等はなく、きっと、遠い遠い昔、箸の「しきたり」ではなく、箸だけが、日本から伝来したものでしょう。
なぜなら、日本には、男女の箸、大人子どもの箸、お客様用の箸、など色々な種類に分かれています。
また、私の実家(大阪)では、昔から、お正月前には、一家の主人(父親)が、お箸袋に家族の名前を書いたり、取り箸に「海山」とか、或いは「鶴」「亀」等を書いて、神棚に祀って、翌日(正月)、それでお祝いをしておせち料理等を頂きました。
私の家は、決して裕福ではなく、どちらかといえば、貧乏なほうでしたが、一人一人の御膳も決まっていて、三が日は、その御膳で頂くのです。私は次女ですが、弟は長男なので、父親は正面、すぐ横に弟が坐り、その前に母親、弟の横に姉が坐り、その前に私が座り、私が一番末席という順番でした。
そういう厳しいしきたりの中、お神酒を飲む順番もおせち料理をとる順番もきっちり、決められていました。
だから、お箸の厳格な取り決めも当たり前のことだったのでしょう。
因みに、三が日は、お箸は洗わずに、お椀と共にお茶でしっかりゆすぎます。三が日は、神様が優先だったそうで、何か神様が関係しているのでしょうか?
まあ、とにかく、昔の日本には、これほど「お箸」には厳しいしきたりがあったということが、文化度が高い証拠でしょう。地方地方によって違うでしょうが、都会と言われながら関西には、けっこう今でも古いしきたりに拘る家もあります。
お箸の話題では、かつて、日本のお箸は資源を無駄にしているといって、自分だけのお箸を持ち歩くブームが起りましたが、それも、無知な人間の思考で、もともと日本は木の文化で、家や家財や道具を造ったあとにでる廃材を捨てるのは「モッタイナイ」ということで、お箸になったと何かの書物に書いてありました。それを読んで、なるほどと納得できる、直感できるのですね。
なぜ、今ごろ「お箸」のコトを書いたかといいますと、7年後のオリンピックで日本にぞろ外国人が押し寄せてくるでしょうが、その時に、日本人は、日本の文化の一つも知っていないと、外国人に軽蔑されないとも限りません。
日本にわざわざやってくる外国人は、オリンピックに興味のある人だけでなく、日本の文化や風習や景色に触れたくてやってくる人もいるでしょうから、日本人が、日本人の文化を知らないとやっぱり、恥ずかしいことではないでしょうか?
日本人が一番、日本のコトを知らない民族らしいですので、それを実証してしまっては、ますます、文化の低い民族だとバカにされ、こんな民族は必要ないと、少数民族のように滅亡されられてしまうかもしれません。自分達の興味ある日本の文化やしきたりを取ってしまったあとは…。
なぜなら、人間は猿から進化したというおかしい論は、西欧人が打ちたてておきながら、まるで自分達だけは特別で例外かのように、西欧人に当てはめるのではなく、映画の「猿の惑星」の猿とは日本人のコトとして、日本人は進化していない下等な民族というレッテルをはり、わざわざ映画で訴えないと受けないほどに、日本人を貶め、卑しめているのです。それを日本のエリート層や学者や文化人や有識者たちも反論するどころか、そのいう説に加担している感があります。
古事記には、初めに「ヒルコ」が生まれ、それをソトに流した、とありますので、きっと海外に「ヒルコ」を流したのでは? 「ヒルコ」とはアメーバのことだそうなので、それが「ダーウィンの進化論」となったのでは? だから、この世には、二種類の人種がいるのでは? それを西欧人は、日本人を「猿の惑星」の猿に仕立て上げることに必死のパッチ? そうしないとヤバイ何かがある? 真相はいかに?
日本人には、お箸だけでなく、言葉にも尊敬語や謙譲語や、一語で意味を成すモノも多く、これが文化の低い民族が使う言語なのかと見まがうばかりです。擬音語は文化度が低いというバカな学者もいますが、本当に、何をかいわんやですね~。そろそろ、日本民族が、どういう存在なのか、日本人自身が、二千年の呪縛から解き放たれてもいいトキではないでしょうか?
そういう意味で、日本人は、もっと日本人自身に、日本という国に、自信と誇りを持って生きるコトが大切だと近頃ますます、痛感している次第です。それが取り戻せれば、心の悩みや心の病で悩む人も、少なくなっていくのではないでしょうか?