直観ひとりごと(48)皇室は「皇族」といって「家族」といわないのはなぜ?
この(48)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(48)
◆皇室は「皇族」といって「家族」といわないのはなぜ?
今日も、天皇のお話しです。私は、ずっと不思議に感じていました。
それは、天皇家の方々をあらわす皇室は、どうして、「家族」とは言わず、「皇族」というのでしょう?
皇室は、なぜ「家族」と言わないの? という疑問です。
私は、そこで、「家」の字源を調べてみて、びっくり!
なんとなれば、「家」という字の意味がわかれば、決して皇室には用いないはずなのですね。
●【家】
解字は、「宀(やね¥)+豕(ぶた)」で、たいせつな家畜に屋根をかぶせたさま。廈(大屋根をかぶせたいえ)と最も近い。仮(仮面をかぶせる)・胡(上からかぶさってたれる肉)とも同系。
意味は、いえ。家族。またその家族が住む住居。うち。や、人の住む建物。卿大夫(貴族の官人)の領地。王朝をたてた王室。いえす。構えて住む。専門の学問・技術の流派。またその流派に属する者。妻から夫をさしていうことば。いえがら。女性に対する敬称。一氏族全体。
●【豕】
解字は、いのしし、または、ぶたの姿を描いたもの。からだが直線状をなして曲がらず、短い形をしている意を含む。猪は肉のつまったいのしし。豚はすんぐりしたぶた。
意味は、いのこ。または、家畜のぶた。『漢字源』より
「家」のもともとの意味は、豕(ぶた)の家畜に屋根をかぶせたもの、だったんですって!
だから、豕(ぶた)のグループなんですって、もともとの「家族」っていう意味は…。
だから、昔は、身分の高い方々には、皇族・華族・士族等といっても、決して、「家族」とは言わなかったのか~。
「家族」と呼ぶのは、我々身分の低い庶民に対してだけだったとは!
知らなんだ、知らなんだ!
結局、無知って、幸せなことなのかな~。
昔の、日本にたどりついた征服者たちは、先住民(真の日本)たちを、家畜同然に思っていたので、そういう「家族」という言葉も何の疑いもなく、自然にできた言葉だったのでしょうね~。
さもありなん!
だから、皇室は、決して家族とは呼ばない!
皇族が、豚の集団なんて、ありえなかった! 今も…。
だったら、皇族たちが、我々しもじ者のようなレベルの低い(?)、豚の「家族」の幸せを望んではいけないのでは?
でも、今の皇室には、平民であった美智子皇后や雅子妃が加わり、一般庶民と同じ感覚の豚の「家庭」の幸せを望まれても致し方の無いことなのでしょうか?
皇太子が、雅子妃お一人を幸せにする、という言葉は、本来ならば、あり得ない。
「帝王学」を学ばれたお方の御言葉とは、信じられない。
本来ならは、皇太子は国民を守り、そして、雅子妃は皇太子をお守りせねば!
美智子皇后が天皇陛下を陰ながらお守りされているように!
皇太子は、自分の豚の「家族」だけを幸せにするために生まれてきたのか?
決して、そうではないはず!
だったら、一体だれが悪いのか?
今は、良くも悪くも、女性の天下!
だから、今の、皇太子は痛々しい、雅子妃への態度は、国民として見るに堪えれない。
他のだれよりも皇室で一番、、皇太子を見ていて、哀しい!
もっと、もっと、雅子妃に対しても、毅然とするべきでしょう。
未来の「天皇」であれば…。
これも、豚の家族だった女性を娶った間違い故か?
豚の家族の父親が悪いのか?
でも、所詮、皇太子も人の子。
「家族」のみの幸せを望むのであれば、皇太子ご一家は、皇室からぬけ出て、平民に成り下がらないと、天からの加護が受けられないのでは?
この国の皇太子、いえ、次の天皇であればこそ、平民的な家族だけの平和なんて望まず、我々国民を立派に守って頂きたいものです。
それでこそ、我々国民も、一丸となって、「天皇」を仰ぎ、敬い、お慕いするのですね。
雅子妃も病気になっている余裕なんてないのでは?
自分のコトで「病む」なんていうことが、国民のことを思っていない証拠。
過酷な国民のコトを案じれば、自分のコトには心が及ばないのでは?
心の病は、貧困な集団からはあまり出ないのです。
本来、心の病なんて、無いのです!
自覚がたりないのでは?
自分に甘いのでは?
家族なんかではなく、皇族の一員なのだから…。
雅子妃が、皇族がイヤなれば、庶民のように、「家族」として覚悟して生きなければ…。
皇族も家族もどっちも嫌だ、では、やっぱり、我がままでは?
皇室としての自覚、覚悟が、全く足りないのでは?
国民のために生きたくない皇太子ご一家であれば、やっぱり、一般平民の「家族」に下って、ささやかな幸せを手に入れるべきではないでしょうか?
なんとなれば、皇室には、家族崩壊や家庭崩壊なんていう言葉や概念は、存在しないのですから…。
望むべきではないのです。
決して、国民ではないのですから…。戸籍がないのですから…。
人間でもなく、神の卷族だから…。
もう、次の次の天皇もお生まれになったのですから…。
秋篠宮に男児が誕生したのが、神の仕組みでしょうか…。
女帝が良いのかどうかも、それも神のみぞ知る…。
女帝がよければ、男児は誕生しなかったのでしょうか…。
我々、しもじものがブーブー言うべきことではない、事だけは確かでしょう。
また、今の世、庭付き住宅が激変する中、「家庭」なんていう言葉もおかしいですね~。
家に「庭」があるから家庭というのでは?
「庭」なんてないマンション生活で、家庭的な一家団欒が保てるのかしら?
この日本から一家団欒の「家庭」を無くすために「庭」のない住居を提供するのでしょうか?
建築業者は、それを承知で、庭のないマンションばかりを造るのでしょうか?
だから、庶民を「家族」や「家庭」と呼ぶのは、ちょっと変ですね~。
ウサギ小屋に住んでいると言われることにも抵抗があるのにね~。
豚小屋だったなんて…。
誰も変に思わない?
と色々な思いも募る、このお正月ではありました…。
豕は豕並みに生きろというのが、遠い昔からの意識で、それは今の政治家や官僚の本音、意識では?
だったら、この世は、変わらない!
変わるのは、私やあなたの崇高な意識から…。
豚ではないと信じる一部の人間達から、「豕どもが、ほれ、みたことか!」 と言わせないように、
我々国民も、皇室のように、気高く、立派に、覚悟して、生き切りましょうよ。
それが「天皇」が立つ、唯一の国家の誇りある民族だから…。
「天皇」が存続するも、断絶するも、この崇高な国民の意識に関わるのだから…。
国民の意識が下がると、天皇の意識も下がる…。
次期の天皇の意識を育てるのは…。
神は、じっと、お見通し…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。