直観ひとりごと(126)松岡修造の熱きパワーの源は~
この(126)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(126)
◆松岡修造の熱きパワーの源は関西人の血か?
今、松岡修造の日めくりカレンダーが、amazonのカレンダー部門でベストセラー1位になっています。
松岡修造ファンの私といたしましては、ベストセラー1位は、本当に嬉しい限りです。
彼のことは、テニス選手時代から注目しておりました。
また、ジュニア対象のテニス合宿のテレビ番組では、松岡氏の熱き特訓に思わず感動の涙すら覚えました。
今は飛ぶ鳥を落とす勢いの錦織圭選手も彼の指導を受けた生徒だというコトは、今では知らない人がいないくらいです。
そんな師弟の関係なのに、松岡氏は、錦織選手には、一切横柄な態度はとりませんし、その反対に、彼を尊敬してやまない言葉を発しています。
それが、家柄の良い、品の良い松岡修造という人間性の証なのでしょう。
一部の人の中には、松岡氏がテレビのCMに流れただけで、嫌悪してスイッチを切るという偏狭な人もいるそうですが、そういう人は、きっと、松岡修造の「本質」を理解していないのでしょう。
見えている現象の雰囲気だけで評価して、彼の行動を「根性論」に結び付けているのでしょう。
なるほど味方にとっては、彼の言動や行動は、厚かましく、暑苦しく、押しつけがましいと感じるでしょうが、それは、彼の「本質」なんかではないのですね。
しかし、そう感じる方々は、彼のうわべだけに囚われて、彼の内面に流れるナイーブで繊細で心優しい神経を感じることなんて、不可能なのでしょうね。
わかる人にはわかるがわからない人には、決してわからない。
それは、観る、感じる側の問題で、それぞれ自由な意志があり、皆、自分の意志のフィルターを通してしか、評価できないのでね。
人間を評価するには、見えている部分(行動や言葉)だけでなく、見えない部分(精神や心)をくみ取る直観が大切です。
松岡修造には、エリートの裕福な家庭で甘やかされて、何不自由なく贅沢三昧に育ったイメージがありますが、それも、うわべだけのデーターです。
彼には、1才違いの文武両道の兄がいて、精神的には厳しい環境で過ごしておられたとお察しいたします。
得てして、元気すぎたり、腕白すぎるのは、その劣等感からくる反動でしょうか?
あるいは、周囲からは何の期待もされずにいた分、かえって親からのプレッシャーもなく、すくすくと育ったのかもしれません。
とにかく、小さい時の彼は、今とは全く違う、劣等生だったのです。
きっと劣等感を心に抱えながら、育ったのではないでしょうか?
それを、卑屈になったり、依怙地になったりしないのは、やっぱり、両親、特に父親厳しい指導も功を奏したのは言うまでもありませんが、ただのお坊ちゃん育ちではなく、大変な苦労もしているのですね。
昔の財閥は、やはり、甘やかすだけではなく、まともな人間に育てるために、時には、ライオンが子どもを谷に突き落とすようなコトを、涙を呑んで、やったのですね。
彼の頑張りも、熱きハートも、そういう環境から培われていったのでしょう。
それほど、彼の父親は、他の裕福な家庭のある親とは違って、松岡氏を決して甘やかさなかったのです。それが、今の彼の財産となっているのでしょう。
また、兄の存在が偉大な故、後々の松岡氏を形成する大きな要因ともなっていったのでしょう。
もしも、兄がいなかったら、現在の彼はいないのです。
現実的な女性には、彼の熱すぎる「男のロマン」を理解出来ない人も多いのですね。
彼のともすれば、ロマンチック過ぎる精神性は、良きライバルともいえる周囲の男性を見て、自然に培われていったのでしょうね。
松岡修造には「ハート」があるのです。
熱い熱い血と涙と汗が詰まった、「ハート」が…。
その彼の血は、関東から東と言うよりも、関西から西の土地柄も影響しているのではないでしょうか?
私には、そう感じてなりません。
熱き心と、熱き本音は、良き関西人の伝統です。
しかし、多くの西の出身者たちは、東に上って行くにつれ、その熱き良き心を置いてきぼりにするのか、
あるいは、標準語や東京弁に委縮されるのか、
本心を出せないで、まるで、西の出身者だということを恥でもあるかのように隠して、
流暢な東京弁を使って、西の悪口を言うのです。
やっぱり、迎合してしまうのですね~。
権力におもねるというんでしょうか…。
いくら、東京弁をしゃべっても、血は変わらないというのに…。
そういう故郷を蔑ろにする似非都会人は、東京出身の人間よりも、
ホント、タチが悪いったらありゃ~しない。
そういう意味で、松岡氏の祖先や先祖は、熱き血を引く関西人そのものです。
その匂いは、関西人だからわかるのです。
それは、マスコミ仕込みの「根性論」の思いなどでは、決してないのです。
それを、実践の伴わない下手なコンサルタント仕込みの「根性論」で、片付けてほしくはないのですね。
彼を嫌いな人は、それに囚われて、内に潜む、彼の「愛」と「礼」と「仁」などを理解出来ないのでしょう。
常に、弱い子どもの目線に合わせるその愛情溢れる指導は、見る者の心を鷲掴みにします。
私は、こういう人が、本当は日本を背負って立つ「政治家」に向くのではと信じていますが、
その反対に、「政治家」なんぞの薄汚れた人間には、決してなって欲しくないという思いとが、
チリジリに交差します。
良き政治家を育てる土壌には、この日本や日本人にはないために、
やっぱり、松岡修造は、今のままで、いてほしい。
許されるならば、教育界のトップになって、この国の教育を変えてほしいと願ってやみません。
やっぱり、お金に全く汚いイメージがしない松岡修造のイメージは、
マスコミ界では、貴重な存在なのです。
益々の活躍を期待しております。
本当は、昔昔の日本人の祖先は、大陸思想に毒されない、人たちだったのです。
それが、関西にも、しっかりと、住んでいたのです。
関西人よ、この松岡修造の熱き思いを、もう一度、私たち関西人の心に取り戻しましょう。
そうすれば、これからの日本を背負って立つのは、関西からという「願い」も、
まんざら、ウソではないでしょう。
それには、彼の精神を見習いましょう。
決して「根性論」などでは、毒されないで…。
私は、パワー人間とあだ名されるほどですので、日めくりカレンダーは買っておりませんが、
エネルギーの弱い人や、何かに悩んでおられる方には、
きっと、松岡修造の日めくりカレンダーは、お役に立つでしょう。