直観ひとりごと(172)初詣での願掛けよりも人間としてすべき大切なコトとは?
この(172)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(172)
◆初詣での願掛けよりも人間としてすべき大切なコトとは?
クリスマスも今日で終わります。クリスマスは、「イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭」、だそうです。
なのに、キリスト教徒でもない日本人が、クリスマスを普通の日とは「違う意識」を持つのは、なぜ?
ナンとも、不思議です!
それに引き換え、日本の庶民には、葬式などで、仏教が深く浸透しているのにも関わらず、お釈迦様を「祝う日」も知らなければ、それを祝う「しきたり」すら知らないのは、これまた、なぜ?
因みに、釈迦の誕生を祝う仏教行事は、「灌仏会(かんぶつえ)」で、「日本では原則として毎年4月8日( 旧暦4月8日に生誕という説)に行われる」そうですが、クリスマスとの「落差」は一体、どうしてナンでしょうか?
ナンとも、不思議です!
もっと、不可思議なコトは、日本は「神道の国」と言われますが、その神道を、国民全体でお祝いする特定の「祭日」がないのです!
神道に限らず、カレンダーには「祝日」はあっても「祭日」は無い! 「ゼロ」ナンですって!
知らなんだ! 知らなんだ! 知らなんだ!
私たちは学校で、一体何を教わっているんでしょうか?
巷ではクイズ番組も盛んですが、知らなくてもいい、どうでもいい知識よりも、日本人として知っておくべき「常識」って、一体、何?
暗記力をいくら鍛えても、意味がない!
大事なことは、考える力! 発想力! 目線のつけどころ!
それが「考える葦」として、頭を働かせること!
「なぜ? なぜ? なぜ?」を追究すること!
●「祝日」とは、「お祝いをする日」。
●「祭日」とは、「祭日のお祭りをする日」で、「神道の祭祀や皇室や宮中の祭祀が行われる日」。
なぜ、「祭日」が無いのかと言うと、現在の「新憲法の精神に合わないとして、GHQの強い意向により廃止」と言うコトだそうです。
と言う意味は、「今の憲法」はやはり、アメリカのGHQの思惑で、押し付けられたモノ以外のなにものでもない? アメリアを嫌う野党はこの事実をご存知か? これも、国民が知らない「常識」の一つでは?
「一年の計は元旦にあり」ではありますが、大晦日には家の大掃除をして、一年の「埃」を落としますが、最近は、その大掃除も疎かになりがちです。私の場合ではありますが…。
また「来年の事を言えば鬼が笑う」という諺にもある如く、やはり、今年の「出来事」や「思い」は、きっちりと今年に清算して、来年には持ちこさないようにするほうが、「初詣で」に行くよりも、効果があると感じます。
見える世界の、住まいの大掃除は、やろうと思えばできますが、見えない世界の精神(心)の大掃除は、意識しない限り、なかなか、やることはありません。
そこで、今年についた精神的な「垢」は、どうして落とすかと考えますと、これが、「感謝の心」、だったんですね。
「心」のクリーニングは、「感謝」だった…。
それも、自分だけの「心」だけに焦点を当てるのでなく、自分がこの世に降りてきた「先祖」の「心」にも意識するコトが、浄化するコト、だったんですね。
●「祖」とは、「且は、物を重ねたさまを描いた象形文字。祖は「示(祭壇+且」で、世代の重なった先祖のこと。いくえにも重なる意を含む。先祖はまつらわれるので示へんを加えた。助(力を重ねる)・苴(重ねてしく)・組(ひもを重ねてくみひもをあむ)などと同系。
意味は、世代をかさねた昔の人。また祖先のみたまや。じじ。父母の父。祖父。はじめ。その仕事や教えをはじめた人。また、王朝をはじめた帝王。修行して一派を開き、信仰の中心となった人。もとになるものであること。おおもととして尊敬して従う。道路をつかさどると考えられる神。道祖神。道祖神をまつって旅路のぶじを祈る。」
「先祖はまつらわれるので示へんを加えた。」とありますので、先祖様は、祀らないといけないのですね。祀っていない人は、心の中で、意識上で、祀ることが重要なのですね。
なぜ、私が「先祖供養」が一番大切かと感じるかと言いますと、私のカウンセリングルームに来られる相談者様の殆どが、先祖様をないがしろにしている、いえ、先祖様なんて全く関係ない、という方が多く、全く感謝もせず、その反対に先祖などはどうでもいいという意識の人が多いので、これは、やはり、「人間智」でどうのこうのというよりも、見えない世界の、あの世的な、先祖霊である、先祖様を大切に意識することで、少しは、精神の領域の、「心の悩み」は解決するのではと、感じたからなのです。
(今の現住所は、何かにつけ意識しますので、自然に氏神様にも、感謝の念が伝わっていると思うのです。でも、先祖様に関係のある産土神様は、自分自身の「魂」にも関係しますので、だから、それを意識するために、先祖様なんですね。どちらも大事にすれば一番いいのですが…。)
さらに、先祖様の「念」は、その子孫にしか、浄化できないと感じます。
それは、先祖供養という行為で「先祖様を供養するコト」なのですね。
神主も僧侶も、他人の先祖供養はできないような、気がいたします。
先祖供養って、形や形式はどうでもよくて、とにかく、自分が生まれて来て、今、現にここにいる、ここで生きているコトに感謝する、それだけが大事なコトなのでしょうね。
それが、先祖様を讃えることにも、敬うことにも、尊ぶことにも、通じるんでしょうね。
要するに、先祖って、自分の一部なんですね。
「先祖」なんて、ややこしい話ではありますが、突き詰めていくと、顕在意識は「肉体」に寄り添い、潜在意識は「精神」に寄り添うという感じがいたします。その「精神」とは、言い換えれば、「魂」でもありましょう。その「魂」は永遠であり、ならば、それは先祖の「魂」とも、共通なのではないでしょうか? 要するに「先祖」とは、「先祖霊」のコトであり、その先祖の「霊」とは、生きている人間の「魂」とも、関わっているのではないでしょうか? それをないがしろにすれば、自分の「魂」にも影響する?
身体の病気は、医師や薬で治せますが、精神の病いは、ある意味、あの世的なモノが絡んでくる場合もあり、現在は、幽界が無くなったという方もおられますので、だったら、そこの住民(?)であった「幽霊」はどこへ行った? 先祖たちの「先祖霊」もどこへ行った?
それらが、精神的に悩める人や弱い人に取り憑くのでは?
また、死んだ動物を、人間と同じように、いえ、人間以上に供養すると、いつまでもこの世に留まって成仏できないために、人間に取り憑くのでは? 或いは、動物霊が人間としてこの世に出て来るかも?
自分が生まれた元は、先祖が無いと生まれでないので、自分の根源は、先祖なのですね。
先祖を30代遡れば、ある人は、10億人になると言われます。
その中には、不幸の「念」で亡くなった人が、大半でしょう。
だから、先祖を癒すため、浄化するために、先祖に感謝、この意識のみが、先祖供養となる、のでは?
先祖供養とは、先祖にお願いしたり、頼ったり、依存したり、助けてもらったりするコトではなく、ただただ、「有り難うございます」ナンです。
この意識は、先祖様だけでなく、神様にも言えるコトナンです。
というようなもろもろのコトを感じまして、神社参りをするよりも、まずは、今年の「悪い念」は、今年に消滅させるために、「感謝の念」に変えるコトと、先祖にただただ「感謝の念」を捧げるコトが、人間としてのなすべき、一番大事なコトなのではと感じた次第です。
それで、少しは、幽界からはみ出した浮かばれない魂や霊も、安らかに成仏するのでは?
もしも、全国津々浦々にある神社に神様がおられるのならば、これほど日本国民が精神を病まないだろうと思いますし、「皇室の人」も未だに精神の病いが全快したという話はききませんので、きっと神様なんていないのでは?
もしも、いたら、皇室の人がそういう精神の病気なんかにはならないだろうと、信じますが…。
もしも、神様がいるのならば、皇室の人は「仮病」かも?
なにはともあれ、健康人間ではない人が、皇室の顔として振る舞うのは、いかがなものでしょうか?
それよりも、本当に、病気ならば、キチンと病気を治してからでないと、皇室のお役目など全うできないのでは?
税金を納めている国民に対して、失礼では?
病人であれば、さらに、病気が重くなるのでは?
こういうコトをなぜ、有識者たちは、キチンと話合わないのでしょうか?
解せません!
コトアゲしない国だから…。
では、国が滅んでも、コトアゲしない?
慰安婦問題も、南京事件も、大相撲の不祥事も、一体、国はどんな対策を取ったのでしょうか?
いえ、誰が一体、それを解決しないといけなかったのでしょうか?
大相撲も、もう、日本だけの問題ではなく、このままほおっておくと、国際問題に発展しかねない。
国? 政治家? 官僚? 誰が、責任を取るべき? 報酬は一体、なんのため?
国民でないことだけは確かです。
これからも、いろんな問題が世界から投げかけられますが、一体、誰が解決すべき?
皇室問題も、一体、誰が解決すべき?
もう、世界に醜態を晒すのは、いい加減にしてほしい。
でないと、日本国民としての「誇り」がなくなってしまう。
ということで、皇室の人にも効果のない「神頼みの時代」は、もう終わったのでしょうね、
だったら、もう神社参拝も、無しにしませんか? 罰が当たる? 恐いですか?
恐いのは、先祖をないがしろにする行為のほうでは?
自分のコトは、自分の魂が一番良く知っているのですから…。
自分の声に耳をすませば、先祖の声が聞こえてくる…。
神はいないのではなく、外には、いないのです。
神は、己の中にいる…。
外に神頼みするのではなく、自分の中の神に、意識を向けるのです。
要するに、自分以外の他のヒトモノコトに「すがらない」コトが、一番重要です。
すがるべきは、自分の霊(魂)のみ。
それを、私なら、「みやけれいこノミコト様」ナンですね。
可能であれば、一年の締めくくりとして、戸籍にある「姓(氏)」のお墓参りをすれば、良いのですが、願い事せずに、感謝のみ。
もしも、お墓参りに行けない人は、寝る前に「先祖様ありがとうございます」と唱えて、ご自分のお名前の後に「~ノミコト様」を唱えましょう。
それも、一度だけで、良いと思います。
お線香もいらないし、物もいりません。昔はお線香などなかったのですから…。全部人間智で考えた「しきたり」だと存じます。
要は、「意識」のみが、重要なのです。
それが、あなたの「今」の「心」であり、死んだら「念」として残り、感謝のみの「念」であれば、その「念」は、スッと成仏できるでしょう。
先祖に感謝した後は、神社への初詣も、良いのではないでしょうか?
できれば、パワースポットなどの神社ではなく、ご自分の産土様の神社や氏神様の神社へ、感謝の念を捧げに行きましょう。
ただ、現在の神社には、変な「モノ」の「念」が固まっておりますので、それが「モノノケ」となる場合もあるので、気持ちが悪い神社や、また、何かを期待したり、願を掛けるのは、止めにしたほうがいいでしょう。
それが証拠に、神道系の「ヒトモノコト」は、もう人間の手に負えない時代となってきておりますので、感じる人は感じる時代ですので、「触らぬ神に祟りなし」。
「崇める(あがめる)」という漢字は、「祟る(たたる)」という字と同じというのも、偶然ではなく、きっと「祟」の付いた天皇は、怨霊となるほど虐げられた人たちだったのでは? これからは、闇雲に神や仏を「崇める」のではなく、先祖様が「祟ら」ないように、感謝して癒すコトが 私たち日本人の成す行為だと信じますが…。
それが、強いては、日本の土地に渦巻く地縛霊を解き放つことになり、また、同時に神社の土地にもその浄化された気が漂うことになるでしょうね。
また、本名を名乗らず、身分も明かさずに、あの世の話や霊や魂の話などをする人は、要注意、でしょうね。特に、「神様」を話題にする人で、正式な本名を名乗らず、活動する人には、近寄らないコトでしょうか?
結局は、人の話、私の話も含めてですが、見えない世界の話は、鵜呑みにしないコトが一番です。
だから、私は、セッションでも言います。
「5時間終わって、玄関から一歩出たら、今日の話は、全部忘れてください。」と…。
なぜならば、それは私の主観であって、他の人には、主観ではないのですから…。
必要であれば、必要なコトだけ覚えているでしょうから…。
忘れろと言っても無理でしょうから…。
だから、忘れていいんですね。
今日のブログの話も、不遜なことも書いておりますので、読み終わったら全部忘れてくださいませ。
お願いします。
ありがとうございます。