直観ひとりごと(178) 貴乃花騒動の「本質」とは?「貴乃花の乱」から「貴乃花の役」に変わるか?
この(178)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(178)
◆貴乃花騒動の「本質」とは?「貴乃花の乱」から「貴乃花の役」に変わるか?
今日17日は、阪神・淡路大震災の日ですが、あれからもう23年も経ってしまいました。亡くなられた遺族の方々には、1995年1月17日5時46分52秒という「トキ」は一生記憶からは消えないことでしょう。
消えないこと、風化させないことが大切なのでしょうね。その地で震災を経験した人々は、たとえ改めて形にしなくても、みんな心の奥ではお祈りしていることでしょう。
生き残った私たちひとりひとりの胸の中に、震災をしっかりと記憶に刻み込んで風化させることなく、次に続く子孫へと、それぞれの「祈り」を伝えていきたいと存じます。たとえ、そのための行事に参加しなくても、心の中で意識すればいいのではないでしょうか?
さて、1月も半月が済み、やっと、新年のおとそ気分も抜けて、昨年からの良くも悪くも「貴乃花親方バブル」に湧く相撲界ですが、今年に入っても全く「泡」、いえ、「嵐」が収まらず、かえって相撲協会等に「逆風」が吹いているようですが、それもこれもその経済効果にはホクホク顔の相撲協会では? 「満員御礼」ですので、「貴乃花の乱」には痛くも痒くもない? 協会の幹部たちだけが安泰であればそれでいい?
きっと、はじめから貴乃親方の「解任ありき」で、今後、「理事選」に当選しても、やっぱり「解任ありき」、なのでは? このままでいけば、私たち一般庶民が、貴乃花親方への「批判」をやめない限り、決して「体制の改革」は起きないでしょうね。
或いは、協会側は、貴乃花親方に「民事訴訟」させないための、「交換条件」として、「理事」が取り引きされるのでは?
その場合、貴乃花親方は、一体、どう出るのか? 取引に応じて、「理事」を手に入れるのか? 或いは、それを蹴って「民事訴訟」をやるのか? と、まだまだ、余談は許さない状況でしょう。
もしも、今回の騒動が、貴乃花親方に「不利」な結果に終われば、「貴乃花親方の乱」となり、貴乃花は「極悪非道人」として、日本の「歴史」に曝され続けるでしょう。反対に、貴乃花親方に「有利」な結果に終われば、「貴乃花親方の役」となり、子々孫々の代まで偉大なる「英雄」として崇め奉られるのでしょう。西郷隆盛のように…。
その「鍵」を握るのが、私たち、国民や庶民の「空気=風」なのです。世間では、真っ二つに「空気」が分かれておりますが、それも当然と言えば当然のコトなのです。この日本は古き時代より二つに分かれているのですから…。
それは、「組織」についての考え方の違いからも、賛否両論に分かれるでしょう。なぜなら、「仕事」で、「組織」にどっぷりと浸かっている人たちは貴乃花親方に「反対」で否定的になり、独立独歩、一匹狼のように「組織」に依存していない人たちは、貴乃花親方には「賛成」で肯定的になる傾向がある…。
しかし、皆さん! ここをよくよく考えてくださいね。
もしも、普通の国民や庶民であれば、今の「職場」が気にいらない「トコロ」であっても、代わりの「職場」はいくらでもある、それもたくさんあり、それを探すことも可能であり、選択する余地はいくらでもあるのです。
要するに、「掛け替え」の在る「場所」で生きているのです。私たち普通の日本人は…。それだけ「楽」な場所でもあるのですね、「掛け替え」がある「トコロ」で生きるという意味は…。
しかし、「相撲界」は、日本で唯一無二の「トコロ」ですので、掛け替えが「無い」のです。それは、日本の野球選手とも違います。なぜなら、日本の「野球界」が嫌であれば、他の「トコロ」へ鞍替えできるのです。日本の野球界よりもアメリカが良いとなれば、アメリカにも行けるし、希望も叶います。
しかし、相撲の世界はそうはいかないのです。世界中には「日本の相撲」は全く無いのです。そういう唯一無二の相撲界の「本質」を無視して、普通の選択可能な生ぬるい「世界」で生きている我々と同じように、今回の騒動を「単純」に考えたり、「貴乃花」に厳しい「評価」を下したりするコトが、いかに、浅はかなコトで、理不尽なコトなのかを、知るべしなのですが…。
さらに、皆さん! 「張り手」や「かち上げ」が問題ない、なんて?
その答えも、「横綱」以外の下っ端の力士であれば、何の問題もありません。なぜなら、チャンと「決まり手」にあるですから…。しかし、横綱にとって「張り手」や「かち上げ」が「良い」とか「悪くない」と、無責任にいろんな人が宣っておられますが、これもちょっと考えればわかることなのです。
なぜならば、相撲の世界では、「番付」といういわば、「順位」や「階級」というモノがあるのです。
要するに「横綱」とか「大関」という「位」を示すモノですね。それが「強さ」という尺度でもありますが、それだけではなく「品格」や「品位」のバロメーターでもあります。これは「権力」と「権威」の違いにも通用します。
それが、相撲には暗黙の了解で存在するのです。だから、日本の「国技」と言われる所以なのですね。
しかし、他のスポーツには、それがない。いえ、日本発祥の柔道には、昔はそれらしき「モノ」があり、勝つためには、やはり「一本投げ」で勝つのが、日本選手には理想であり、それを追い求めてみんなが必至で練習したのですね。
要するに柔道の「道」に通じる、昔の日本人にしか分からなかった「モノ」ですね。しかし、今ではそれも外国人主導のルールに変更されて、夢のまた夢と消えて、もはや形骸化してしまいましたが…。
それも、「伝統」や「仕来たり」を伝えない教育者側の問題でもある、日本人の責任なのでしょうね。悔しさなんて、彼らには皆無なのでしょうか? 日本人として解せませんが…。もはや真の日本人なんて、どこにもいないのでは? もはや日本発祥の「柔道」に「道」は無いのと同じです。守るべき一番大切な「道」を捨ててしまったのだから、もはや柔道が日本の柔道で有るはずなんてありません…。
一体、誰が捨てたのでしょうか? 今、相撲道も「道」を捨てざるをえないところなのでしょうか?
ひたすら形骸化し続ける「組織」の中で、権力闘争に明け暮れているだけの無意味な「存在」のように感じるのは、私だけでしょうか?
しかし、「相撲界」は日本の「税金」も使われてるレッキとした日本の「組織」で、目に見えない「相撲道」があるのです。だから、その「相撲」には、今でも犯しがたい「番付」があり、それを外国人力士にきっちり教えてこなかった「親方」連中の許しがたい「責任」なのです。だから、横綱白鵬の頬っぺたを叩く「勇気」ある大関以下の力士なんて、皆無なのです。
もしも、そんなコトをすれば、その力士は白鵬の息のかかったモンゴル力士から袋叩きにあい、もはや相撲界では生きてはいけないのです。それが証拠に、日本人の稀勢の里の「怪我」は、一体、誰との対戦で、再起不能のような状態になったのでしょうか?
しかし、貴乃花親方独りで、改革は可能なのか?
その答えは、「否」、というしかありません。なぜならば、「相撲」は、あの「明治維新」でも変わらなかったし、敗戦後のGHQからの「新憲法」でも、相撲界は、変えられなかったのです。それが今も「亡霊」の如く、旧態然とした「体質」を引きずっているのです。
言い換えれば、アメリカも変えられなかったのか? 変える気がなかったのか? だから、「貴乃花」一人の力では、1000%、無理なのですね。過去にも相撲界は「分裂」しているそうです。だから、貴乃花親方が「独立」しても…。
だから、みなさん、「貴乃花親方の乱」も、大企業の「膿」が次々に暴かれているように、それらと同類のコトだと存じます。私たち、国民や庶民の意識が「追い風」となって、「貴乃花親方の役」に変えるしか、方法がないでしょう。
なにはともあれ、私たち賢い国民は、「貴乃花親方の乱」をもう少し、冷静に、じっくりと、いかなる組織にも組せず、加担せず、公平に、「カミカヘ」って、みようではありませんか? そうすれば、あなたの意識も、「貴乃花親方の乱」から「貴乃花親方の役」に変わるかも…。
「貴乃花の乱」から「貴乃花の役」に変えるのも、私たちの「下剋上」の私心なき崇高な「意識」です。「変革の風」を吹かせるのも、私たちの熱い「思い」なのでしょうね。これが、過去になっても、決して「貴乃花」を犯罪者のようにしてはなりません。英雄にしなければ、今の「膿」は出ず、体質は決して変わらないでしょう。
そして、それでも「貴乃花親方」批判をするあなたは、どこかの「組織」にガッチリと縛られているのでは? さらに、その「組織」が無くなれば、きっと、困ると「潜在意識」では「恐怖の念」に苛まれているのでは?
しかし、「変化」を嫌うあなたは、もうそろそろ「伝統」というものの「本質」も見極める時期に来ているのでは?
これからの世の中は、底辺の人間を虐げる「伝統」などは、もう消滅する運命にあります…。日本がその影響を一番、受けるでしょうね。伝統や仕来たりなどで、税金を無駄に使い、或いは、それに胡坐をかいて、底辺の人間を搾取する「組織」や「集団」は、もう…。
そんな伝統の相撲界を、国民がヤキモキする「世間の風」の中で、「大相撲」が1月15日から何の問題もないかの如く、開かれていますが、もはや、世間の風は、遂に、白鵬にも「黒星」をつける勢いとなりましたが、もう一人の注目の横綱、稀勢の里は、きっとこのまま土俵に上がり続けたら、潰れるでしょうね。
早く、誰かが稀勢の里に「休場」を言い渡さないと、結局、またひとり優秀な日本の力士がいなくなるでしょう。
と、いろいろ書きましたが、「世間の風」のおかげで、いずれ「膿」が出て、バンバンザイとなるのでしょうか?
それを望むのも、阻止するもの、すべて日本国民の「意識」にかかっていると、私は思っています。
「貴乃花の乱」にするのか「貴乃花の役」にするのかも、すべて日本国民が起こす「世間の風」にかかっているのでしょう。
結局、上の人たちが、どう思惑や忖度したって、それを成功させるのは、国民の「意識」のなせるワザなのでしょう。
だから、私たちの「意識」が大切なのですね。
そのためには、モノコトの「本質」を見抜く鋭い「意識」が、いえ、「魂」が…。
感謝、感謝、感謝、ありがとうございました。
私の別なサイト「姓名本質リーディング」の、「有名人の姓名解読リーディング(10)「貴乃花親方の神名は宇宙の中心神アメニミナカヌシだった…。」はこちら→