直観ひとりごと(188)日大の選手を加害者に仕立て上げ、晒し者にする「組織」の罪とは…。
この(188)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(188)
◆日大の選手を加害者に仕立て上げ、晒し者にする「組織」の罪とは…。
昨日(5/22)、悪質タックルを起こした日大のアメフト部の宮川泰介選手が「謝罪会見」を開きました。
そもそも、こんな「記者会見」は、異様で、異常です。日大側の責任者や関係者が「同席」しない「記者会見」なんて…。
だから、今回の不祥事の「本質」が垣間見える…。
なぜならば、宮川選手の身分は、日大の学生であり、日大のアメフト部の部員であるのです。だから、本来ならば、たった一人で「会見」を行うなんて、あり得ない「事態」なのです。そうでないと、日大には「責任」を取る「責任者」が一人もいない…。
私は、この記者会見を見ていて、涙が止まりませんでした…。無責任な大人たちに対する「怒り」と、加害者の悲壮な「覚悟」と、そのアメフトからの撤退を決めた「絶望」に、涙が…。
宮川選手は、きっと、悔しかったでしようね~。察して余りあります…。いえ、彼の立場は、誰もああだ、こうだと言えないくらいで、もうこれは、事件であり、犯罪でしょう。いちカウンセラーとしては、彼の今後が、とても心配です。日大がいち生徒の前途を潰す「権利」があるのでしょうか。憤りを禁じ得ません…。
日大に在籍する学生であり、アメフト部の部員の選手である、いち学生、それも、こんなにも若い20才の人が、たった独りで、名前や顔を全国に曝して、加害者として、なぜ、謝罪しなければいけないのでしょうか?
こんなにも、独りの大学の学生に、「覚悟」させる「記者会見」って、一体、大学って、学部って、スポーツって、何? 彼の寄って立つ「組織」が守ってくれなければ、一体、そこの学生としての「存在価値」って、何? 日大の「責任」って、何?
今回の件は、「個人対個人」の対戦で起こった不祥事ではないのですよ。れっきとした、日本の西の大学と東の大学の公式戦ともいえる、大学アメリカンフットボールの「定期戦」ですよ。
それなのにも関わらず、20才の大人になったばかりの選手を独りだけ「加害者」に仕立て上げて、押しつけて、「晒し者」や「悪者」にするその理由は? 学生を守ることを、一切放棄して、日大側のトップ連中は知らぬ存ぜぬで口をつむぐその理由は? その悪質極まりない行為に、日本中の国民を敵に廻すことになってしまったのでしょう。
加害者である宮川選手の記者会見が終わった時点でも、まだ、日大広報部は、前コメントの「受け取り方の乖離」を撤回せずに、会見に対する公式見解がないとしたのです。
しかし、世間の反発には逆らえなかったのか、日大広報部は、夜になって慌ててコメントを発表しましたが、その醜い言い訳の内容で「”QBをつぶせ”の指示は事実でも、それは”思い切って当たれ”という意味で、内田監督の指示ではない」と改めて選手の「コメント」を握り潰し、否定したために、かえって火に油を注ぐ結果となっています。
加害者の宮川選手の母校である日大は、罪を全部、独りの選手に押しつけて、彼を守り切らずに、なぜ、内田正人監督だけを守ったのか? なぜ、トップの内田正人監督と井上奨コーチは、「記者会見」を開かないのでしょうか? 監督もコートも、選手の心情など、どうでもいい?
本来ならば、宮川選手の記者会見にこそ、付き添い役として、保護者役として、内田監督と井上コーチは揃って、顔を出して、命を賭して、彼を庇わないといけないのでは? それが、選手に模範を示すべく、トップとしての在り方ではないでしょうか?
それが、個人のスポーツではなく団体のスポーツであり、アマチュアの、大学同士での不祥事なのですから…。誰が責任を取るのかは、一目瞭然なのですから…。
政界も官僚界も相撲界もスポーツ界も、全ての「組織」のトップや責任者が出てきて、キッチリ、責任を取らないのは、この日本の国の「仕組み」?
そんな、理不尽な目にあっても、いえ、そういう理不尽な日大だからこそ、加害者の宮川選手は、記者会見で、自分の謝罪の意志を伝えるしか、スベがなかったのです。彼は、もう絶体絶命のところまで追い詰められてしまったのです。一体、彼をそこまで追い詰めたのは、一体、誰?
宮川選手は、記者会見まで開いて、名前や顔を晒してまで、謝罪の言葉を述べたかった、その彼の「真意」とは? そして謝るのであれば、「顔を出さない謝罪はない」という理由で、潔く顔出しを決意したそうです。
なんという「覚悟」、なんという「潔さ」…。この一言だけでも、宮川選手のやったことは「罪」であっても、彼は、潔く、それを償ったことになるのでしょうね。人間、やってしまったことをとやかく責めることよりも、そのあと、どういう行為をとるか? どういう対処をとるか? 潔く謝罪するか? 逃げ回るか? 謝罪しても、弁解がましく責任逃れに終始するか? 等々、それを見せられる私たちは、冷静に、キッチリ、評価しないといけないと感じます。
宮川選手が、記者会見を行った時点で、ボールは、私たち、見ている国民に投げられたのです。どういう評価をするか? それでも、彼を非難し続けるか? 彼を抹殺するか? その「良識」を彼は、私たち全国民に託したのです。
そして、今回の記者会見の「立派な態度」に誰もが、想像とは違う印象を、加害者の選手に、持ったのではないでしょうか? 要するに、日大側やトップ連中、あるいは心ないマスコミやネットの書き込みからの、彼への悪いイメージから良いイメージに変わったのでは?
しかし、今回の記者会見は、その宮川選手の潔い態度に比べて、質問する記者たちの、約束を守らない質問(一人一問)には、ちょっと、首をかしげたくなるばかり…。こういう約束を守れない記者たちが書くニュースを見せられるのも、何か、ちょっと…。
記者たちの質問内容も、とにかく監督の「非」を、選手から聞き出したいためだけのような気がして、決して、選手の「心情」添ったものではなかったようで、選手も幾度となく繰りかえし質問される監督やコーチへの「批判・不満」を一切、言わないその姿勢には、日本人のあるべき姿を見せられたようで、ちょっと、身の引き締まる思いがいたしました。苛酷な「加害者」にまで追い込まれながら、一切、不平不満を言わなかった宮川選手は、ほんと、偉大です。なかなかできる態度ではありません。
こういう若者を見ていますと、改めて「組織」の怖さ、理不尽さに思いやられるとともに、こういう出来事は、遠い昔から幾度となく繰り返されていたことでしょう。それの極め付けが、あの先の「戦争」なのでしょうね。
そうして、潔い若者からドンドン犠牲となって死んでいったのでしょうね。理不尽な上司や上役を「命令」を素直に聞いた人間から、率先して「死」に向かっていった…。残った上司や上役たちが、ノウノウと生き延びるのは、今も昔も変わらない、この国の仕組み…。いえ、これは、全世界、人間の社会の仕組み…。
加害者の宮川選手を見ていますと、スポーツマンシップに長けた好青年という感じがしてなりませんが、それは、反対に、指導力もなく、人望もなく、利己主義なトップにとっては、自分の欲望を満たすための一介の「捨て駒」にすぎないのではないでしょうか?
選手にとっても、余りにも「組織」の中で、功成し遂げる「願望」が強くなると、その組織に縛られて、身動きとれなくなり、その結果、やみくもにトップの「操り人形」になってしまう恐れもあります。その悪い例が、オウム真理教のサリン事件でしょうか。
ゆえに、大学側の成すべきことは、右も左も分からない若人を、キッチリとした「道」を示してやることが「使命」であり、それがスポーツを通じての他の日本の大学の「存続」にも繋がるのでしょうか。
今回の出来事は、その「道」を生徒に示さず、庇わず、守らず、せっかく好きなスポーツから嫌いにさせて、撤退させるような「仕打ち」をするのは、教育機関としては、あるまじき、大学と言われても、仕方のないことでしょう。
加害者の選手の今回の「記者会見」が尋常ではなかったことは、被害者側が開くのであれば、ある意味、誰でも開きますが、反対の加害者となると、誰もが躊躇するのではないでしょうか? それをあえて、顔まで出して開いた「勇気」は、よっぽど、追いこまれての行為では?
あのTOKIOの松岡くんも記者会見で称えられていますが、彼はある意味、第三者的なので、今回の選手とは立場が違うのです。しかし、宮川選手は、被害者ではないですが、ある意味、本来は、張本人でもなく、首謀者でもないのです。なのに、独り「加害者」として一切、否定もせず、立派に、公の場で、名前と顔を晒す「勇気」には、今の「大人」は全部見習うべしでしょう。
そういう意味でも、なんか、泣けて泣けて仕方ありませんでした…。日本の未来を見せられているようで…。こうして、世の中から、「善き人間」が抹殺されていき、「悪しき人間」だけがシブトク生き残り、この日本を貶めるのでしょうか?
そして、一番の極め付けは、加害者側の日大が宮川選手を守らずに、反対に、被害者側の関学大の鳥内秀晃監督が「かわいそう」と同情を示し、また被害者の父親である奥野氏が、彼に感謝の礼を述べられて「再生していただきたい」と言っておられます。この日大関係者と関学大関係者の「落差」は、一体、何?
今後は、記者会見で名前が上がった、井上奨コーチに注目が集まるでしょうが、日大は、ひょっとして、内田正人監督と自分たちの大学を守るために、次の保身の戦略として、井上コーチに罪を擦り付けてしまうのでしょうね。
そうすると、宮川選手から井上コーチに変わっただけで、結局、悪の枢軸には届かず、「トカゲの尻尾切り」で、チョンになってしまうのでしょうか? もしもそうであれば、もはや、スポーツはいらないし、オリンピックも日本で開く「資格」なんてない? さらに、もはや、大学もいらないし、全大学も、今一度、その「存在意義」も見直すべし?
この日本の社会に流れる「空気」というか、「長い物には巻かれろ」を一掃しないと、今後もますます、こういうトップの「不祥事」は起こり続けるでしょうね。しかし、今までとは違い、全部、表に出て、暴かれるのです。それが、今の「変革の時代」だから…。上の悪が世間に全部晒されるのです…。そういう意味では、良い時代になりました…。
※)因みに、今回の三人の中での、一番のキーマンは、内田監督よりも、井上コーチでしょう。
なぜならば、井上コーチは「図象符」では、宇宙神の「アマノミナカヌシ」の神名を持っておりますので、一番、エネルギーが強いのです。
井上コーチだったから、今回の不祥事が起こったともいえる…。
また、内田監督は、「ミナト」の神名で、宮川選手の「ハヤサスラヒメ」よりも弱いので、トップに立ってはいけない人だし、現実社会では生き難い人で、そんな監督の元の選手たちは不幸でしょう。宮川選手でなくても、他の誰かが彼の代わりをやらされていたでしょう。
それにひきかえ、宮川選手は、世の中の不条理を正す強い「ハヤサスラヒメ」ですから、彼の存在が、二人に姑息な役目をさせて現実の「膿」を表にだす役割を演じさせたのかも…。
よって、これからのキーマンは、井上コーチの「言動」如何によるでしょう…。日大側にとっては、彼はちょっと、手ごわいかも?
日大と井上コーチとの対決になるでしょうが、きっと、日大側は、井上コーチに「責任」を委ねて、その結果、井上コートは、人間の「誇り」や「名誉」と引き換えに、一生暮らせる「何か」を得るのでしょうか…。
まだまだ、これで終わりそうにありませんが、あなたが井上コーチの立場だったら?
さて、あなただったら、どうする???
さらに、宮川選手の、今後に手を差しのべてくださる、日大OBの皆さん、どうか、彼の未来を救ってあげてください。
お願いいたします。
三宅麗子の「魂」が浄化できますように…。
宮川選手の「魂」、ガンバレ!
ありがとうございました。
※)追伸
このブログは、5月23日(水)午後3時11分のアップです。予想した通り、その日の夜の午後8時から内田監督と井上コーチの「弁解会見」が開かれ、案の定、コーチに全て罪を押し付けたのでした。監督は、知らぬ存ぜぬの一辺倒ですが、コーチの発した言葉ややった行為は、任せた自分(監督)の「責任」だから自分がやったことに等しいと伝えるのがトップとしてのこの記者会見で成すべきことだと、イタク感じました…。これが、日本全土を覆う上層と下層の「乖離」と「闇」なのでしょうか…。ネットがそれを全部暴く機器になるのでしょうか…。(5/24、8:28)