ことわざカウンセリング(8)「三つ子の魂百まで」

この(8)「ことわざカウンセリング」のブログは、カウンセリング歴30余年大阪「5時間で1回きり」「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。

◆「三つ子の魂百まで」

女性の働く環境整備が叫ばれて久しいですが、本当に、女性が社会で働くことはそれほど幸せなコトなのでしょうか?
今の男性社会においては、例えどんなに女性の環境が良くなっても、年をとればやっぱり、女性は子供を産む(出産)のが一番だったという後悔の念にかられるのではないでしょうか?

まず一番大事なコトは、男性社会、女性社会という区別する概念を無くすことでは?

それはまた、そもそも「社会に出る」という言い回しがおかしいのではと感じます。
社会にわざわ「出る」という感覚がおかしいのでしょう。
別にわざわざ社会に出なくても、すでにこの世に生れて生きていることが、即ち社会に出ていることに他ならないのですから…。
また、男性が「家庭に入る」ということが許されていない現状の認識では、女性だけが被害者で差別であると捉える考え方もおかしいのでは?
男性でも、社会に出たくはなく、主夫で終わりたいという人も増えているのだから…。

「社会」や「家庭」という概念で区切るからおかしいのであって、同じ世の中のステージで生きているのだから、女性が平等意識を貫きたいのであれば、決して、今の押しつけられた概念を鵜のみにしないほうがいいのでは?
何か特別な区切りをすることが反って平等意識から離れていくような…。
まるで、電車を「女性専用電車」とするような…。
あれは、はじめから男性の全員が全員、「痴漢」とみなしているような仕組みですよね。
だったら、「従軍慰安婦」も全世界にあっても全くおかしくないのです。
でも、日本の軍隊だけに存在していたような報道には、何か変な気がしませんか?
亡くなった日本の兵隊さんが草葉の陰では、きっと地団駄踏んでいることでしょうね…。

それはさておき、要するに、女性自身も、都合のいい時は差別反対といい、また、別な時には特別にせよというのはいかがなものか?

社会環境の整備もさることながら、まずは女性に求められるのは、自分自身の揺らぎない生き方というか、それは、人と比べない生き方であり、信念というか覚悟というか意識というか…。
自分は何のために一体、この世に生れて来たのか?

常に、自分は社会の一員であるという認識に立てば、職場で働こうが家庭で働こうが、結婚しようが子供を産もうが、余り動じなくなるのでは?
要するに、女性は結婚して子供を産みたいのかどうか、今のまま仕事をして仕事が生きがいとしたいのかどうか、それを問うべきでしょう。

みんなが結婚するから結婚しないといけない。
子供は嫌いだけれど産まないと女性として世間で認められないから子供を産む。
母親になりたくないが夫が望むので子供を産む。
子孫を産まないと肩身が狭いから子供を産む。等々…。

ひと昔前の女性の多くはお百姓さんの妻だったので、子供を産むことにも畑で働くことにも、環境がどうとかこうとか、あれこれ不平不満を言わなかったのでしょう。
だからといって、世間に出て働いているという意識もなく、家庭で専業主婦という感覚もなく、あるがままの環境を受けいれるだけだった…。
野良仕事は辛いけれど、舅姑はきついけれど、かと言って離婚ということにはならなかった…。
良いか悪いかは別にして、昔はそういう世の中であり、時代だった…。
それが、女性を特別、差別酷使していたのかというと、とうの女性たちがそういう意識はさらさらなかったのでしょう。
学校教育やマスコミ情報での、そういう洗脳教育がなかったのだから…。

今の時代、自分の生き方は自分で決めるというコトはとても難しいコトなのかもしれません。
余りにも情報が氾濫しているのだから…。
でも、これだけは言えるでしょう。
もしも、子供を産んで育てるのであれば、最低でも子供が「三才」になるまでは、慈しみ、愛して抜いて、手塩にかけて育てることが、いいのではないでしょうか。

現在の心理学では、幼児の性格は死ぬまで変わらないという説には疑問を呈していますが、日本の昔からの言い伝えやことわざもむげに無視する必要はないように感じます。
結局、モノゴトをどういう風に感じるのかも、それぞれ自由なのです。すべて思いは自由。
これは、老いも若きも、お金持ちも貧乏人も一緒。
だから、心や意識や考えや思いは大切なのでしょう。
決して、それらは奴隷にはならないのですから…。

とにかく、一生働くのか、結婚するのか、子供を産むのか、専業主婦でいくのか、等々、あなたの今世でのテーマは一体どういうテーマなのか、を知るには、当カウンセリングを受けられるのも一案かもしれません。
お待ちしております。

●「三つ子の魂百まで」
幼時の性質は死ぬまで変わらないもの。雀百まで踊忘れず。幼時に持った性質は年をとっても変わらないこと。三つ子は、三歳の幼児ということだが、幼時の代名詞に使われており、百までは、一生という意である。「故事ことわざ事典」守随憲治監修(新文学書房)「ことわざ格言集」寺川嘉喜四男(光文書院)

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