直観ひとりごと(278)コロナ禍よりもオリンピックのほうが大事?

この(278)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年大阪「5時間で1回きり」「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。

★直感ひとりごと(278)

◆コロナ禍よりもオリンピックのほうが大事?

菅総理と、ビル・ゲイツが、オリンピック開催で、何か話をされたそうです。
日本は、この後におよんでも、まだ、オリンピック開催を目論んでいるのでしょうか?
一体、誰にとって、メリットがあるのでしょうか?
多くの国民が犠牲になっても、たった一握りの人々ためには、目をつぶれということでしょうか?
なぜ、政府が潔く、オリンピック中止と言わないのでしょうか?
国民の命よりも、そんなにも経済が大切なのでしょうか?
その経済で潤うのは、一体、誰?

結局、そのしわ寄せは、底辺であえぐ国民にかぶせるのでしょうか?

オリンピックの選手たちのためと言いながら、本当は、一体、誰のため?
誰が潤うため?
体操選手でしょうか?
それを見る国民でしょうか?

違うのでは?

政府も損失は免れませんが、国民の命よりも重いものはないし、大切なものはない!

ここは、日本人が、もっと大きな声を上げるべきでしょうか、有史以来、縄文時代からこのかた、一万数千年以上、コトアゲせぬ国民性だからこそ、政府が国民になり替わり、「中止」と言わなければ…。

日本人であれば、いえ、縄文人であればこそ、大きな視野にたって、物事を見なければ…。

それが、これからの世界を引っ張っていく、日本のアリ方なのでは?
1万数千年を大きな戦争もしないで生きた勇気ある縄文人の意識でもって、このコロナ禍の渦巻く世界を、正々堂々と生き抜いていきましょうよ。

たとえ、渡来人の弥生人であっても、この日本で生きていれば、縄文の血が流れているそうですよ。
だから、今こそ、縄文人の意識で、何が良くて何が悪いのかの善悪をよくよく精査して、これからの未来を良い方向に導いていくのが、私たち日本人の「使命」と信じて、オリンピックンに「中止」と言いましょう。

オリンピックよりも、日本国民の「命」が大事だと、声を大にしましょう。

コロナ禍を怖がらず、普通に生きてまいりましょう。
でも、侮ることは、もっと、危険、避けるべきコトは極力、避けることも必要でしょう。

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