直観ひとりごと(7)敵は己自身?
この(7)「直観ひとりごと」のブログは、大阪の潜在意識のカウンセラー三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(7)
◆敵は己自身?
勝負の世界でも、ビジネスの世界でも、人生においても、ライバルや敵は「己」自身。
他人を制するのではなく、己即ち自分自身を制した者が勝ち残る。
自分自身を制するとは?
心、精神力、意識などなどを制すること。
これが一筋縄ではいかない。
だから、古来、日本にはそういう己自身向かう精神修養の方法が研究されていた。
「道」とつくものがそれに当たる。
武道、柔道、弓道、華道、茶道、香道などなど。
しかし、今は、それらは形骸化し、真の精神を養うものとは程遠い。
その一番いい例が、柔道。
西洋社会にいいように利用されて、今はただ単に「強さ」だけを競うだけになってしまった。
一番大切なコトが軽んじられ、それは、今や日本の柔道とは似て非なるモノに成り果てた。
それもこれも、結局、それを許してしまった日本の柔道界の一部の責任である。
やっぱり、今でも、この国は精神的奴隷国なのだ。
それは、庶民よりも、一部の人間に染み透ってぬぐいきれないほどに悪影響を及ぼしている。
今の文明がある限り、永遠に続く…。
肉体だけを競うなら、動物の方が強いのは歴然としている。
だから、人間同士が競うには、人間である証としての精神力が伴わないといけないのだ。
昔の西洋のスポーツの発祥は、奴隷と猛獣を闘わせて、鑑賞していたそうな…。
きっと、奴隷が負けても次から次に闘わせていたのだろう。
貴族やエリートの慰みとしてスポーツは考え出されたそうな…。
今は世界的な人気のサッカーも、その起源は、戦いで分捕ってきた敵の首領の首を蹴って取り合いしたのが始まりらしいと何かの本で読んだ記憶があるが、それが事実ならば、ゾッとする…。
今の世は、正に、人間の体をした動物が仕切っている世界なのかもしれない。
だから、昔の日本人は、精神を尊んだのだ。
肉体力では劣っているが、精神力では完全に勝っていたのだ。
マラソンがまさにそうであったが、今は、それも危うい。
結局、日本人に必要なのは、奴隷のような環境から抜け出る精神力を養う教育が必要なのである。
それは白人を敵対視することではなく、黒人や他の有色人を軽んじる事ではない。
白人を敵対視したり、特別視したりすることから脱却するには、結局、己自身の精神力を高めるしかない。
結局、己自身の精神を見つめることである。
精神力といっても、瞑想や座禅をしろというのではない。
現代には現代にふさわしい、やり方や方法ある。
それは、日本人がダサいとか、無駄だとか言って、捨ててしまったものの中に見出せる。
もう一度、それを見つけ出して、日本人に取り戻すことか、明日の未来を生き残る術なのだろう。
それには、今の知識教育を根本から見直さなければならない。
知識教育から知恵教育への変換が必要なのだ。
頭から心の教育、そして肝の教育へ、心や肝の教育とは魂の教育!
それには、底辺で地道に生きている人たちから起こしていくべきである。
今それが出来る時なのだ。それが、今なのだ。
古い知識の概念を新しい知恵の概念に変えていけるのは、今なのだ…。